宮部みゆき「理由」〜妖怪化する現代人〜

会社のセキュリティ対策の強化に伴って、外部WEBサイトへのアクセスを制限する方向で検討されているようです。従い、私のこの日記の更新頻度も、来月あたりから、週1回くらいのペースに落とそうと思っています。毎日更新が日課になっていたので、ちょっと寂しい限りですけど、しょうがないよね。カウンターもおかげさまで3万件間近なんですが、更新頻度が下がる分、密度の濃い内容にしていこうと思いますので、今後ともご愛顧のほどをお願いいたします。
 
さて、今日は、先日読了した、宮部みゆきさんの「理由」の感想を。

誰もが「遅すぎる」と称した直木賞受賞作品ですよね。「火車」と称されることが多いと思うのですが、それも納得。そもそも宮部さんの作品群は恐ろしく多様なので、ある程度「分類」をしていかないと、全体がつかめない。そういう意味では、「火車」や「RPG」、あるいは「淋しい狩人」などとも共通する、社会派サスペンスの一群に「分類」される作品とは思います。ホラー風味や、大人よりもよっぽど聡明な子ども達が活躍する、という宮部さんらしさもある。

でも、この「理由」という本からは、私が読んだ宮部さんの他の本に比べても、どこか切迫感、というか、恐怖感を強く感じる気がするんです。「このままじゃ、この国はどうなっていくんだろう」という恐怖感。「こんな人間が、だんだん増えてるんじゃないだろうか」という危機感。

そういう危機感というか、恐怖感のようなものを、ものすごく具体的に表現しているのが、八代祐司という登場人物。未読の人のためにあまり詳しくは書きませんが、最後まで「実体が分からない」人物として描かれている彼の存在自体が、生々しい恐怖感を伴っている。その恐怖感が絶頂に達するラストシーンに、宮部さんのメッセージが込められている。それは、「過去や家族という、本来逃れがたい、断ち切りがたい自分の絆を断ち切った時、人は妖怪と化してしまうよ」ということです。

小説の中に登場する全ての人々は、誰もが断ち切りがたい家族の絆、自分の過去を背負って、それぞれに苦しんでいる。それぞれが、その絆を断ち切れたら、という苦悩や、これが自分の人生なのだ、といったあきらめや、自分の人生はこんなものじゃないはずだ、というあがきの中で、必死に生きている。そういう人々の中で、一切の絆を断ち切ってしまった八代祐司という人物は、一種の妖怪になってしまう。怖いのは、その妖怪が増殖していく可能性が示唆されるラストシーン。

最近、よく思うことなんですが、「過去を回顧する」「現代を嘆く」「過去を切り捨てる」「自分はこんなものじゃないはずだと思う」、どれもこれも、本当にムダな話。大事なことは、「自分の分を知って、足るを知る」ということ。何でもできる人なんかいない。完全に自由な人なんかもいない。自分の過去や、周囲の環境ときちんと向き合って、自分に与えられたものに満足し、その範囲の中で、できる限り多くの人たちを幸せにするように努力する。そんな当たり前のことができない人がとても多くなっている気がする。でもそれって、人間らしさを失って、ヒトが妖怪になっていく過程なのかもしれない。

舞台を作っていく上でも、結構そういうヒトに出会うことってあるんです。「オレはこんなもんじゃない、こんな舞台で満足している人間じゃない」という気持ちを持つことは、常に向上していく、という意味では大事なのかもしれないけど、「だからこんな舞台で本気になれないんだよねー」とか、「オレはこの舞台じゃ破格の実力を持った人間なんだから、それなりの待遇で扱えよ」とか、「あいつは全然舞台のことが分かってないから、追い出しちゃおうよ」とか。そういう人たちが増えてくると、団体は瓦解していきます。その団体にとっては、そういう人たちはまさに「妖怪」なんです。

必要なのは、「今こうなっている」「今の自分はこうだ」、という冷静な自己分析。その分析に立って、「これからどうしていくべきか」「今どうするべきか」という課題を自分に与えて、その課題をクリアするために具体的に動いていくこと。「周りのヤツがだめなんだ」「家族環境が悪いんだ」という、周囲に原因を押し付けた言い訳じゃなくて、「自分に出来ることは何なのか」ということをひたすら考えていくこと。そして、自分じゃなくて、周りの人たちの一人でも多くを幸せにすることを考えること。

以前、浅田彰という思想家が、「スキゾキッズ」という概念を出してきて、「色んなものから逃げろ逃げろ!」と言いましたけど、逃げた先にあるのは、究極の自己責任と自己管理なんだ、ということを忘れてしまうと、沢山のヒトが妖怪になっていくのかもしれない。そういう妖怪たちが作り出す社会というのは、決していい社会とは思えません。沢山の八代祐司が増殖している現状に、宮部さん自身が感じている恐怖感のようなものが、この小説を生々しいものにしている気がします。

宮部さんの作品には、どうしようもない大人たちの悲劇を、醒めた目で見つめている子ども達に、未来を託すような作品が多かった気がします。でもこの「理由」では、その子ども達自身の絶望感が吐露されている点で、宮部さん自身の絶望感、切迫感が伝わってくる気がしました。ドキュメンタリー手法という客観的な叙述に徹しながら、それがかえって対象の生々しい恐怖をあぶりだしている。最近読んだ本の中でも屈指の「怖い」本でした。