我が家の小学校受験そのよん〜アピールするものを勘違いしない〜

昨日、志望校選びの過程について書いたら、お受験言いだしっぺの女房から、以下の情報追加の要望が入りました。

お受験を最初に考えた最大の要因は、女房が以前勤務していた、教育関係の会社の仕事で、ある国立小学校の授業を頻繁に見学していた、という経験だったそうです。実際に授業を見学すると、国立小学校という「教育現場」が、非常に面白い場に見えたのだとか。

まず、様々な教育方法の実験が行われる実験場である、ということ。従い、子供はモルモット状態です。それを不愉快に思う人もいるでしょうが、女房はむしろ、そういった実験的な授業をこなすことができる、「教員の水準の高さ」と、「充実した施設」に魅力を感じたそうです。確かに、モルモット状態でこねくりまわされている、という印象もあるけれど、子ども達は、そういう環境をむしろ楽しむように、のびのびと独創性を発揮している。そういう授業を何度も見学する中で、「こういう環境に子供を入れたい」と考えるようになった。

それが取っ掛かりになって、我が家の「お受験」の検討が開始されたわけですから、最初の第一志望は、国立小学校だったんですね。ただ、なんと言っても、国立小学校の競争率は数十倍。しかも抽選という、公平かもしれないけど受験する側には準備のやりようがない選考方法。国立小学校受験、というのは、最後まで選択肢に残っており、願書まで取り寄せたのですが、前述の通り、ご縁のあった私立小学校が気に入ってしまった。「ただでさえ競争倍率が高いのに、我々みたいな中途半端な志望者が、抽選の倍率を上げるのは、本気で入りたがっている人たちにご迷惑だし」と、受験を辞退することにしました。これが、我が家の志望校絞込みのプロセスでした。
 
さて、志望校選定まで来まして、今日は最後に、面接を受けた感想を書いて、このシリーズを終了させたいと思います。

最初に受けた面接は、「ダメもと」受験ということで臨んだ、近隣でも人気の高い私立小学校。結果的にここは不合格だったのですが、その主因は我々両親にあった、と思っています。

面接にあたって、夫婦で色々と事前相談をしていたのですが、その根本的な作戦が間違っていたんですね。一番の勘違いは、「ボクたちって、とっても素敵でしょ、すごいでしょ?」ということをアピールする場だ、と勘違いしてしまったこと。

小学校のお受験面接、というのは、就職面接に似たところがあります。この私立小学校では、教室に親子で呼び出され、両親の間に子供を挟み、2人の先生(校長先生と、担任の先生)が向かいに座りました。雰囲気的には、就職試験の面接に酷似している。でも、そこに「勘違い」の罠があった。

「ボクたちって素敵でしょ?」ということをアピールしよう、と考えてしまうと、「ボクは子供の教育について、こんなに考えています。こんなに一家言あります!」とか、「ボクらは家族でこんな共通の趣味を持っていて、とても楽しくやっている、いい家族なんですよ!」といった、自己アピールが中心になってしまう。そういうペースでこっちからまくしたててしまったのですが、脇で聞いていた女房が、「途中から、先生方がすうっと引いていく感じが分かって、失敗した!と思った」そうです。

学校側が親に期待しているのは、「この小学校が好きです」「この小学校の教育方針に賛同します」「この小学校と一緒に、協力して、子供を育てていきたいと思います」「そのための協力を惜しみません」ということ。つまり、その小学校に対する理解と誠意を、いかに見せるか、ということなんです。自分をアピールしてもしょうがない。子供を一緒に育てていくパートナーとして、あなたを信頼しています。僕らのことも信頼してください、というアピール。

そういう意味では、就職試験のように、「自分」をアピールする場所ではなくて、「自分」と「小学校」の関係性を結びたい、という意欲をアピールする場なんですね。小学校側としては、「この親御さんと一緒に、子供を教育していけるだろうか」という協力者としての親の適格を見ている。そこにそもそもの勘違いがあった。

結果、見事に玉砕した後、夫婦して、「基本姿勢に間違いがあった」と大反省。第一志望の私立小学校受験にあたっては、女房と一緒に毎晩、想定問答を繰り返し、「それじゃ自己アピールだよ」「それじゃ誠意が伝わらないでしょう」「それはちょっと的外れじゃないか」と、何度もシミュレーションを重ねました。

第一志望の私立小学校については、以前から、校長先生との面談時間をとってもらったり、事前に何度も見学に行ったりして、充分に研究をしました。これも勿論よかったと思うのですが、何より、夫婦して、この学校のことが本当に好きだなぁ、と思っていることを、誠心誠意伝えよう、と考えました。

面接は、一番目の私立と違って、子供が試験を受けている間に、両親だけが面接を受ける形でした。両親に対して教師の方が1名での面接。「志望理由」「授業見学をしての感想」「自宅での補助教育について」という感じで、3つか4つの簡単な質問で、あっという間に終了。拍子抜けしたような気分と一緒に、女房と、「それなりに、準備していた通り、こちらの意図は充分伝えたよね」と言い合う。「これで落ちたら、縁がなかったと諦めるしかないよ」と。

結果、なんとか合格をいただいたのですが、やっぱり大事なのは、「この小学校がとても素敵だと思います」という気持ちの強さと、それをどれだけ嫌味なく誠心誠意伝えられるか、ということだと思います。といっても、「すごく好きな小学校で、『大好きです!』とアピールしたのに、振られちゃいました」という人も勿論いらっしゃいます。なので、それが全てではない。でも、間違いなく、それが出発点なんだと思います。

ここまで、我が家の今年の小学校受験の顛末を書き連ねてきました。最後に言いたいことをまとめて、終りにします。それは、「お受験」を楽しみましょう、ということ。

「お受験」というのは、色んな意味で大変な経験だったし、襲い掛かる不安や、色んなプレッシャーと戦わなければならない、厳しい経験だったことも確かです。知り合いのママさんからは、「子供がチック症になるくらい頑張らないとダメなんだ!」と言われた、という話も聞きました。でもやっぱり、それはおかしいと思う。

何度も書きますが、お受験というのは一つの手段に過ぎないんです。地元の公立小学校に行っても、子供にとっては楽しい、新しい毎日が待っている。うちの娘には、「楽しい小学校」「とっても楽しい小学校」「とってもとっても楽しい小学校」「とってもとってもとっても楽しい小学校」のどれにしようか、お試験の準備をしながら相談しようね、といつも話をしていました。どこに決まったとしても、そこから始まる新しい日々の中で、子供に何を与えられるか、ということを考える余地があるはず。「ここしかないのだ!」と決め付けて、子供も親も追い詰められてしまうのはやっぱりおかしい。子供の未来の時間の方がずっと長いんです。

さらに、お受験の準備の中で、子供がみるみる成長していく姿にも驚かされました。以前できなかった課題が、数週間後にはできるようになっている。この頃の子供の成長は本当に早いです。そういう成長を実感できる時間が得られた、という意味でも、本当に楽しい経験をさせてもらいました。

また、子供の教育を巡って、夫婦の会話も増えました。教室の送り迎えなど、家族の触れ合う時間も増え、子供は毎週の教室を楽しみにしていたと思います。お受験にトライしようか、と思っている親御さんがいらっしゃったら、是非、「楽しんで」ください。どこかで、「楽しくない」と思ったら、手段が目的化していないか、もう一度自分を見つめなおしてみてください。子供に無理を強いていないか、もう一度子供の表情を見直してみてください。親子で「お受験」に押しつぶされることのないように。家族で「お受験」を楽しめるように。そして、ご希望の小学校に入れようが入れまいが、「楽しかったね」と親子で振り返ることができるような時間を過ごせれば、本当に素敵なことだと思います。