「平安妖異伝」〜「音楽小説」というジャンル〜

平岩弓枝さんという作家に、「御宿かわせみ」で興味を持ち、図書館で平岩さんのコーナーを眺めていたら、「平安妖異伝」というタイトルの本に目が留まる。夢枕獏さんの「陰陽師」シリーズも好きだったし、平安朝を舞台とした怪異伝、という話は面白そう、と、借り出す。昨日読了。思ってもいなかった「音楽小説」で、びっくり。

描かれるのは、魑魅魍魎の起こす怪異であり、それを、若き日の藤原道長と、謎の美少年楽師、秦真比呂が解決する。藤原道長の役回りは、まさしく「陰陽師」の源博雅だし、秦真比呂の役回りは、まさしく安倍晴明。怪異と、それを解決するワトソン役とホームズ役、という構図は重なるのですが、大きな道具立ての違いが、この小説をユニークなものにしている。

一つは、藤原道長、という、歴史上非常に有名な人物の若き日の活躍、という設定。「陰陽師」は、安倍晴明という、実在さえあやふやな正体不明な人物を中心に、虚構性の強い物語をつむいでいた。それに比べ、道長を初めとして、中宮定子、源高明藤原道隆・伊周親子など、日本史をかじった人なら、極めて具体的なイメージを持つことができる人々を登場させている。それによって、物語がよりリアルになっているか、というと、そうではない所が面白い。物語の幻想性は決して崩さず、歴史上の実在の人物を活躍させることによって、その人物のキャラクター、とりわけ、藤原道長という人物のキャラクターを強く読者に印象付ける効果をもたらしている。

実際、この小説の道長は、ワトソン役、あるいは源博雅と並べてしまうには、あまりにカッコイイ。政治への野心はなく、女性を愛し、聞き上手であり、行動派であり、マッチョであり、様々な怪異に対して真っ向から立ち向かっていく。安倍晴明役の秦真比呂の影が薄くなるほどの存在感。実際、この小説のネット上の評論や、文庫本のあとがきなどを見ていると、「この小説は、スーパーヒーロ藤原道長を描いた小説である」という位置づけでの評価が多いようです。

でも、私はむしろ、このシリーズ小説は「音楽小説」なのだ、という観点で読みました。驚くほど詳細な、「雅楽」の知識がこれでもかとばかり詰め込まれているだけでなく、物語そのものが、「雅楽」に登場する楽器たちが織りなす物語として成立している。楽器自身の持つ想い、楽器自身の持つ魔力が、人間に怪異をもたらす。そして、その怪異を破るのも、秦真比呂という謎の天才楽師の持つ「楽器=音楽への愛情」なのです。

平岩弓枝さんって、なんでこんなに雅楽に詳しいんだろう、と思ってあとがきを読んだら、平岩さんって、代々木八幡神社宮司の娘さんなんですね。だから詳しい、と直接にはつながりませんけど、雅楽に興味を持ち、勉強する素地はお持ちだったんでしょう。このシリーズ小説に盛り込まれた雅楽に関する情報量はすごいです。門外漢の私も、ちょっと勉強してみようかな、という気になる。

ここで、「音楽小説」というジャンルってあるかなぁ、とふと考えてみる。音楽というのは、直接叙述することが極めて難しい現象ですよね。叙述する際に、必ず比喩を用いる必要がある。例えば、「濃緑色の水をたたえた湖」という言葉をつづることで、かなり具体的な視覚的イメージを読者に与えることはできるけれど、「高い笛の音がした」という言葉だけでは、その音のイメージを具体化することができない。文章で具体化できない「音楽」というものを、いかに小説世界においてリアルに描写するか、というのは、小説家としてある意味面白いテーマになるかもしれません。

もちろん、非常に有名な楽曲であったり、よく知られた楽曲であれば、その曲のイメージをベースにイマジネーションを広げていくことは可能。村上春樹さんとか、ジャズの名曲を小道具に使われるのが上手ですし、先日読了した「スプートニクの恋人」では、クラシックのピアノ曲が小道具として使われていました。篠田節子の「カノン」のように、楽曲そのものを一種の迷路のように捉えたホラー小説もありますね。

それとは別に、誰も聞いたことのない、架空の音楽を小説に描写した小説も多いし、その場面が強烈な印象を与える小説も多いですよね。池澤夏樹さんの「バビロンに行きて歌え」なんか、まさしくそういうロック小説だったし、村上龍の最高傑作「コインロッカー・ベイビーズ」も、一種のロック小説である。

でも、音楽が物語を補完する小道具として使われている各種の「音楽小説」と比較して、この「平安妖異伝」は、まさに音楽そのものが主人公である、という、ある意味特異な「音楽小説」です。怪異をなす狛笛、鼓、琵琶、象太鼓、といった楽器たちは、それぞれの中に、楽器の作り手の想いと、美しい楽曲を人々に届けたい、という熱情と、その美しい楽曲を愛してくれた人々に対する愛情を秘め、楽器=音楽そのものが感情を持った妖怪として立ち出でてくる。そういう意味で、非常に純粋な形での「音楽小説」だな、と思いながら読みました。

「音楽小説」というジャンルを探してみると、これはこれで面白いかもしれませんね。阿川佐和子さんが「恋する音楽小説」という本を出してらっしゃるようなので、これもちょっと読んでみようかしらん。