大田区合唱祭〜23区の個性〜

東京、と一口に言っても広いですよね。昔、上京したての頃は、関東平野一面に、同じような町並みがひたすらごちゃごちゃと貼りついているように見えて、結構怖かった。どこまでいっても同じようなビルがあり、同じような住宅がある。どこまで行っても、東京という町が途切れない。

でも、しばらく住んでみると、均質化が進んだように見える東京の中に、土地固有の個性がきちんと息づいていることを発見する。表通りを歩いているだけでは決して見えない個性。東京の個性は、やっぱり、路地歩きをしないと見えてこないんですね。新宿区、練馬区千代田区台東区・・・それぞれに、個性的な町並みが路地の奥に隠れている。

先日、大田区民オペラ合唱団が参加する、大田区合唱祭にお邪魔する。蒲田の駅前にある大田区民ホール、アプリコの大ホールでのイベント。オペラ合唱団の持ち時間は10分ちょっとだったのですが、ちょっと会場に早めに着いたので、他の合唱団の演奏も聴いてみる。

このイベント、今回が100回目、ということなんですが、先日お邪魔した新宿区の合唱祭と、どうしても比べて聞いてしまいます。そうすると、大田区と新宿区で、合唱、という表現スタイルに対するアプローチが随分異なっていることに驚く。一言で言うと、なんでもアリの新宿区と、画一化された大田区、というか。

ちょっと失礼な言い方になってしまうかもしれないのですが、大田区合唱祭に出演されている合唱団は、どれも同じような合唱団に見えてしまうのです。おじさまおばさま、おじいさまおばあさま方の余暇の趣味クラブ、という感じ。全然悪く言うつもりはなくって、それぞれの合唱団の雰囲気はとても温かですし、演奏される曲も、耳に馴染む聴きやすい曲が多い。とても上品な感じがします。でも一方で、ちょっと厳しい言い方かもしれませんが、おおっと驚くような表現には出会わない。もちろん中には、意欲的な演奏もある。私が聴いた中では、合唱団の名前を失念してしまったのですが、清水昭先生が指揮された女声合唱団が演奏した、「さとうきび畑の歌」がよかった。意欲的な編曲もあいまって、楽曲としての完成度はともかく、団員の方々の思い入れが伝わってくる、とてもいい演奏でした。

でも全体に、とてもお上品な演奏が多い。これに比べると、新宿区の合唱祭は相当異質な気がします。ロシア民族衣装あり、大学生のコンパノリあり、遊び心たっぷりの舞台あり、大久保、ネスポラのような上質のパフォーマンスもあれば、「あの」!トパーズもいる。とにかくなんでもアリ。

「合唱」という表現手段には、実はなんでも入れられる。普通に立って歌う。難しい和声に挑戦する。ナレーション入りの曲もある。パーカッションが入るものもある。衣装に凝るのもいい。とにかく大声で元気に歌うのもいい。しんみりと歌うのもいい。踊り狂うのもいい。

そういう、なんでもアリの「合唱」という表現形態に対して、あくまで端整に、あくまで上品に、余暇の趣味として参加するのも勿論いい。なんでもアリだから、精一杯楽しもうと、なんでもやっちゃうのもいい。そのアプローチの仕方に、田園調布というハイソな街を象徴的に抱えている大田区と、歌舞伎町というごった煮鍋の街を抱えている新宿区の、地域の個性を見てしまうのは、うがちすぎかなぁ。

そういう中で、大田区民オペラ合唱団の舞台はかなり異質だった気がします。演出付きの舞台でしたし、取り上げた曲も、どろどろソープオペラの「カヴァレリア」。すっきりした口当たりの日本酒が続いた後に、突然ドブロクをかっくらったような、割ととんでもない舞台だったかもしれない。歌ってる側は面白かったですけどね。

大田区合唱祭の全部を聴いたわけでもなく、部分だけを聞いて、ちょっと失礼にも聞こえるような感想を書いちゃって申し訳ないです。こういうイベントを100回も続けている、ということ自体、本当にすごいことだと思います。スタッフの皆様、本当にお疲れ様でした。「合唱」は本当に何でも入れられる器だから、上品にアプローチしても、ハチャメチャにアプローチしても、その中にずんずんのめりこんでいければ、楽しいよね。