オルレンドルフその後

今回の舞台で演じた、オルレンドルフ大佐、という役。もともとの「乞食学生」の成立過程を見ると、18世紀のザクセンによるポーランド統治にかこつけて、19世紀当時のハプスブルグ王朝によるポーランド統治を皮肉っている、という構造があるようです。歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」が、あきらかに江戸の同時代の討ち入り事件を扱いながら、あくまで脚本上は、時代を室町時代に設定しているのと同じ構造。そう思ってみても、ポーランド人の智恵と愛にまんまとだまされるザクセン人オルレンドルフ大佐、という構造は、なんとも自虐的な感じがしないでもない。原作のオルレンドルフ大佐は徹底的に道化役で、最後のセリフは、「え?これホントに戦争だったの?」です。なんてお間抜け。

でも、今回の上演台本で、演出家のY氏は、オルレンドルフの性格をもっと深みのあるものに仕立てました。彼自身の、オルレンドルフへの思い入れと、おそらくは、争いの絶えない現代社会に対する一つの理想として、「智恵と愛のもたらす友愛」というテーマを象徴させるために。原作になかったセリフを2つ3つ追加しただけだったのですが、これが実にいいシークエンス。演じる側としても、オルレンドルフという役を作りこむ上で、最も思い入れ、最も考え抜いたシーンとなりました。

上演前にこの日記に書くと、ネタバレになってしまうこともあったので、ガレリア座内のMLだけで公開していたのですけど、舞台も終了したので、この日記の中で公開しておこうと思います。乞食学生の舞台をご覧にならなかった方にはちんぷんかんぷんな記述になってしまいますが、ご容赦ください。

                                      • -

ザクセン軍とポーランドの人々の関係って、どんな関係だったのだろうか。
終戦直後のGHQと、日本人みたいな関係?そこまで親密な感じでもない。
イラク駐留米軍と、イラク人みたいな関係?あそこまで険悪な感じでもない。

それに、オルレンドルフは、ポーランド人のラウラに惚れてしまいます。パルマティカの妹さんに至っては、多分、お姉さんの困窮を見かねて、でしょうけど、「オルレンドルフとラウラを結婚させたら?」なんて手紙を寄こしてる。それで、お姉さんの破産状態が解消されるかも、という打算もあるでしょうけど、ザクセン軍とポーランド人がそんなに険悪な感じだったら、そういう発想自体出ないだろうし。

そう考えているうちに、ある時から、こう思い始めました。

「オルレンドルフって、ポーランドがすごく気に入っちゃったんだ。」

暗愚な王と言われるアウグスト二世に対する忠誠心から、心からの率直な進言を重ねた挙句に、王の怒りを買い、辺境の地に左遷されてしまう。失意のうちに着任してみたら、女性は美人だし、食い物もうまい。住民は多少反抗的かもしれないけど、付き合ってみればいいやつは多い。総督として統治しないといけないから強権的にはなるけど、でも、「なんていい土地なんだ」。

多分、それまでの彼は、軍務一辺倒で、色恋沙汰にも無縁だったのでしょう。でも、ポーランドという土地で、貴族のたしなみも「武骨ながら」覚え、ラウラに出会って、生まれて初めて心ときめかしてしまう。なんていい国なんだ。

でも、彼には、ザクセン国王への忠誠、という呪縛があるのです。

その呪縛があるから、本気でポーランド人の味方になろう、という所まではいかない。

幕切れ、ポーランド人の智恵と愛に破れたオルレンドルフは、一瞬、剣を抜こうとします。自分を取り巻くポーランド人を一人でも多く殺戮して、ザクセン軍人として最後まで戦い抜こうか、と、一瞬考えます。「一人でも多くを道連れに・・・」

でもその瞬間、「オレには、この人たちを斬れない」と思うのです。「この美しい人々を、この愛する国の人々を、オレは斬れない」と。

そう思った瞬間、オルレンドルフは、「オレはポーランドに負けた」と思うのです。戦いに、というよりも、国の魅力に。この国に絡め取られてしまったのだ、と。

最後の芝居で、抜きそうになった剣を置き、恭順の意を示すとき、「この土地がオレの死に場所か」と思いながら、どこかで、「この土地で死ねるなら、幸せものだ」という開放感で、剣を置きました。

でも、この辺境の地まで、自分に付き従ってくれた、忠実な部下達だけは道連れにしたくない。助命嘆願は、以前作っていた演技よりも、必死で、悲壮な嘆願になりました。

許され、受け入れられた時、オルレンドルフは、やっとザクセン国王の呪縛から解放されます。あそこで、客席に背を向けながら、オルレンドルフは、本当に穏やかに、ただ微笑んでいるんです。

スタニスラウス・レクチンスキによる「ポーランド人の王権」樹立は長くは続きません。ポーランドは、数年後、再び、アウグスト二世の統治下に戻ってしまう、というのが、史実です。

しかし、その時、オルレンドルフはおそらく、ポーランド軍のために戦い、ザクセン軍から、裏切り者として処刑されたのだろう、と思います。

でも、その処刑台の上にあっても、オルレンドルフは多分、微笑んでいたんだろうな、と思います。

                                • -