FACEBOOKではすでに少し報告しているのですが、先週後半、初めてマニラに行ってまいりました。今日はその報告を。久しぶりの海外紀行文になります。
マニラで宿泊したホテルはクリスマス飾りがとても綺麗でした。敬虔なカトリック信者の多いフィリピンでは、クリスマスは一年を通して最大のお祭りの一つです。雪のない常夏の国のクリスマスって、なんとなく不思議な感じがしますよね。
なんだってフィリピンに出張したの?と思われるかもしれませんが、実はフィリピンの大きな外貨獲得手段の一つは、船に船員を供給すること。自国に大きな産業のないフィリピンでは、人材を海外に派遣して外貨を稼ぐことが主力産業の一つなのですね。私が働いている会社が運航しているケーブル船に、多数のフィリピン人船員が働いている関係から、人材派遣会社との打ち合わせのために出張したのでした。
この、国内に大きな産業が育っていない、というのが、この国の貧しさや多発する犯罪の大きな原因の一つで、外貨を稼いで富裕化する富裕層がどんどん豊かになる一方で、貧しい階層は全く豊かにならない。カトリック国の常として、貧しい家庭は例外なく子沢山。貧しい人たちはますます貧しく、豊かな人たちはますます豊かになる、という悪循環がずっと続いているそうです。
マニラを代表するSophitel Hotelのロビーに輝くクリスマスツリー。豪華なシャンデリアの下で笑いさざめく人たちは、間違いなくこの国の「勝ち組」。
一方で、マニラ郊外に延びる街の傍らには、こんな光景が広がっています。子供から年寄りまで、街中に物乞いは数多くいますし、交差点で車が止まるたびに寄ってくる物売りの中には、まだ小さな子供も沢山います。
以前、フィリピンを台風が襲った時、これらの貧しい人たちの家が全部流されてしまった。政府から、家の再建のために必要な資金を尋ねられて、住民の一人が、「5000ペソあれば」と言っていたそうです。大体1万2千円くらいで一軒家を建てられちゃう。逆に言えば、トタン板で簡単に組み上げただけの簡単な家なんだね。亜熱帯だと寒さをしのぐ必要がないから、それで済んでしまう、というのもあるかもしれないんだけど。
今の大統領のドゥテルテ、という人は、色々と毀誉褒貶のある人ではありますが、間違いなく国の現状をなんとか変えようとして奮闘していることは確かです。今回旅をアテンドしてくれたフィリピン通の方が、「ドゥテルテになってから、税関の役人がかばんを開けてお土産をねだる、とか、街中で警官が意味もなく職務質問してきて袖の下をねだる、といった不正が本当に少なくなりました」とのこと。徹底的な麻薬取締や強権的な姿勢が「反民主的」などと言われますが、国に住む人たちにどうにかして希望をもたらそうとしていることだけは確かじゃないかな、と思います。状況が変わるにはまだまだ時間がかかりそうですが。
子供が多い、というのは貧しさを助長する側面もある一方で、国の活力がある、ということでもある。町で見かけた中学校の子供たち。音楽祭か何かの行事の後だったらしくて、車が進めないくらいに道にあふれていました。普段は、子供の数に比べて学校の校舎や先生が足りていないために、午前中通学する子供と午後通学する子供に分けていたりするそうです。
国を代表する産業がないのと同様、「あんまりおいしい郷土料理もないんですよね」と、案内してくださった方が連れて行ってくれたレストラン。観光客向けの高級レストランで、かなり外国人の舌に合うようにアレンジしてあるそうです。写真の1枚目はグリーンマンゴーのサラダとエビのアヒージョ。サラダにかかっている茶色いものは、フィリピンで一般的な魚醤の沈殿物で、もともとはオキアミのようなエビの仲間を発酵させたものなのだそうです。マンゴー、という名前で口にするとびっくりするくらいに酸っぱい。
写真の2枚目の左上に見えるのが、竹の筒で蒸したごはん、バンブーライス。これはおこわのような味でとても美味しかった。案内人の言葉によれば、「これは日本占領時代に日本人が教えたんじゃないかな、と思うんです」とのこと。右下に見えるのは、空心菜をスパイスの効いたココナッツミルクでさっと炒めたものです。
マニラの中心にあるロビンソンショッピングセンターで昼食をとる時間があったのですが、電化製品や衣料品、食料品が充実した大規模なショッピングセンターで、ここも人であふれている。ここで買い物ができるくらいの中流階級が次第に育ってきているのだそうです。クリスマス飾りで彩られた店内で、世界展開もしているフィリピンの代表的なファーストフード店、Jollibeeでフライドチキンとビーフンのセットを食べました。結構おいしい。
空いた時間にマニラ市内の旧城壁内の旧市街、「イントラムロス」に足を延ばす。まず行ったのはフィリピンの近代史の重要な舞台になったサンチャゴ要塞。16世紀の末からスペインのフィリピン統治の中心地として使用された要塞で、フィリピン独立の英雄、ホセ・リサールが幽閉され、自分の足で刑場まで歩いて銃殺された場所。金属のプレートがはめられた彼の足跡が残されています。
その後、米国から日本と支配者が変わっても、サンチャゴ要塞は支配者の統治の中心であり続け、第二次大戦末期に、イントラムロスが瓦礫と化した米軍の猛攻の中、日本軍が要塞の地下牢に水を流し込み、600人もの捕虜を溺死させる、という事件も起きたそうです。銃痕の残る建物を案内するガイドさんの話を聞くと、日本軍がどれだけひどいことをしたか、という話ばっかり聞かされるんですよね、と案内してくださった方の談。
そんな悲惨な歴史があった場所ながら、今は観光名所として、観光馬車も沢山行きかっています。「イントラムロス」の中は、警官も少しレトロな水色に茶色の帽子の特別な制服を着るのだそうな。
マニラ大聖堂もちらりとお邪魔。やはり敬虔なカトリック教徒の多い国らしく、聖堂の中でお祈りしている人たちの真剣度合いがかなり違う気がしました。
サンアウグスティン教会では、ちょうど結婚式の最中。ここは中華系の方も多いので、なぜか教会の前に二対の狛犬がいます。結婚式をサンアウグスティン教会とマニラ大聖堂で挙げて、マニラホテルやSophitel Hotelで披露宴をやる、というのが、フィリピンの富裕層のステータスなのだそうです。
格式あるホテル(写真はマニラホテルのラウンジ)で富裕層がくつろぎ、街に出れば汗と埃にまみれた最下層の子供たちが車の窓ふきなどの小遣い稼ぎをしている、というのは、二十年くらい前に訪れたペルーで見た光景に重なるものがありました。実際、ポリネシア系民族とスペイン人が混じり合った混血のフィリピン人の風貌と、同じ環太平洋民族であるインディオとスペイン人が混じり合った混血のペルー人の風貌には、どこかしら似通ったものを感じた。こういう国が貧しさから脱出するにはたくさんの困難があるんだろうな、とは思うけど、フィリピン人の船員さんに働いてもらっている会社にいるんだから、なんとか彼らの家族が安心して暮らせるような国であるようにお手伝いしたいな、と思いました。