「場」について

今日から社会復帰。溜まっている仕事もあるし、1日休んだ上に、木曜日は大阪に日帰り出張。日程が足りないぞ。頑張らねば。

さて、今日は、先日の「蔵しっくこんさぁと」の経験の中で、何度か実感した、「場」ということについて、ちょっと考えてみたいと思います。

今回、非常に心地よい気分になった瞬間というのが何度も訪れたのですが、そこに共通していたものは何かな、と考えたときに、「場」というのは一つのキーワードになっている気がしたのです。

「場」という言葉には、いくつかの意味があります。場所、つまり「空間」を意味する「場」。状況や行動の場面を意味する「場」。重力場、のように、力の及ぶ範囲を意味することもあります。そういうものを全てひっくるめて、一つの「場」が、そこにいる人々の共通の意識・感情によって満たされ、共有されるときに、非常に高い幸福感・満足感・充足感が与えられる。そういう瞬間が、今回の企画で何度も訪れた気がするのです。

でも、その幸福感をもたらしてくれた最大の要因、というものを考えると、それぞれの「場」において、幸福感・高揚感の原因が異なる気がする。そのあたりを、(自分でもまだ未整理なのですが、)3つの例を挙げて考えてみたい。

・最終練習での高揚感
・アーキジャム事務所
・本番会場

の3つです。
 
1.最終練習:

最終練習の「場」では、前日の公開GPで与えられた課題を次々にクリアしていくことで、達成感・高揚感が参加者の間に共有されました。これは非常な幸福感だったのですが、クリアするべき課題、という目標が明確にあり、その目標が参加者全員にきちんと認識されていたからこそ、クリアされた瞬間の達成感が大きかったのだろう、と思います。言いたいことは、この幸福な「場」を作り上げたものは、明確な目的意識だったのだ、ということ。金メダルを目指して戦う選手と応援団の間に作り上げられる「場」と同じ質のものだった気がします。

2.アーキジャム事務所:

本番前日の夜、夕食後にお邪魔したアーキジャム事務所では、非常にまったりとした、幸福な時間を過ごすことができました。ここで共有されていたのは、「心地よさ」、それと、「高揚感」だったと思います。Iさんの人柄そのままに、温かくて居心地のよい空間。美味しい食事にお酒も入って、気分もゆったり。これまでの練習で、すっかり一体感が出来ている仲間たち。この心地よさに、さらに、翌日の本番を前にした高揚感が加わって、全員が同じ波長で鼓動し、呼吸しているような、そんな幸福な「場」が構築されていました。

3.本番会場:

本番会場はもちろん、大いに盛り上がったのですけど、ここでも、共有された「場」のエネルギーを感じた気がします。それは、昨日の日記にも書きましたが、お客様と出演者の間のコミュニケーションが、非常にスムーズかつビビッドに成立していたことが、最大の要因だった気がします。こちらからの伝達、それに対する反応・感動。相互に作用しあって、一つの感情を共有する。共に笑い、共に泣き、共に感動するうちに、出演者とお客様の間で共有される「場」が、大きな高揚感と幸福感をもたらしてくれる。「酒蔵」という空間も、場の共有を促進していた気がします。日常から切り離された異空間ですから、足を踏み入れただけで若干高揚するんですね。
 
人間は社会的な存在ですから、感情を単独で動かす時よりも、複数の人々で共有する方が高揚感が大きい。部屋にこもって一人で笑うより、2人で、3人で、100人で笑った方が盛り上がりますよね。音楽は、そういう「感情の共有」を導き出す道具。つまり、「場」を作る格好の道具だと思うのです。もちろん、そういう「場」は、音楽の力だけでなく、その空間の持っている心地よさ、音楽とのシンクロ度合いも影響すると思います。また、上記のように、その「場」に集った人たちの精神状態や、目的意識、といったものも、「場」の高揚、共有には大きな要素になる。

かなり重いテーマで、全然手に負えない状態になってきちゃいました。どれだけ大きな空間において、どれだけ大きな共感のエネルギーを作り出すか。それが、「場」のエネルギー値を決めるとすれば、パフォーマーの能力は、どれだけエネルギー値の大きな「場」を作り出すか、ということによって計ることができるのかもしれません。