読み漁った本のこと その2

蔵こんのメンバーとのメールのやりとりは続いていて、まだ高揚感は継続しています。その一方で、次の企画に向けての準備も進めないとだめ。昨夜は、乞食学生の登場箇所の楽譜を縮小コピーして、通勤電車の中で確認するための縮小版の楽譜を製本しました。今晩は「ワルツの夢」のリートを練習する予定。週末にはヴェルレクの強化練習。盛りだくさんな日々は続きます。

さて、今日は、先日書き始めた、今までに読み漁った本の続きを書きたいと思います。先日が小学校時代だったので、今日は中学校時代。

中学校時代は、なんだか乱読、という感じで、色んな本をひたすら読んでました。小学校時代に培った活字中毒症が、すっかり定着した時期でしたね。大体、我々の世代の中学生が読みふけりそうな本は一通り読んだ気がします。太宰治北杜夫新田次郎星新一、あたりは、誰でも避けられない道のような気がする。

北杜夫さんは、同姓(といってもペンネームだが)ということもあり、一時期結構読みふけりました。初期の叙情的な中篇が好き。「幽霊」「木霊」あたりの、霧がかかった木立のような、不思議な味わい。いわゆる「どくとるマンボウ」シリーズはあんまり読んでなくて、むしろ小説を随分読みました。「楡家の人々」や、「夜と霧の隅で」の重量感は、やはり強烈ですね。でも、「牧神の午後」や、題名を忘れてしまったのですが、火星を舞台にした叙情的なSF短編、ユーモア小説でも、「怪盗ジバコ」なんかが好きでした。「牧神の午後」のコピーのような、ギリシア神話を題材にした短編小説を書いたりしたことがあります。中学時代に最も影響を受けた作家。

星新一さんから、レイ・ブラッドベリに行って、ブラッドベリには相当はまりました。どれが一番、ということはない、というか、ブラッドベリって、どの短編も同じようなテイストですから(なんていうと失礼か)、これに一番はまった、というのはないんです。あえて挙げるなら、「火星年代記」と、「10月はたそがれの国」かなぁ。特に後者のインパクトは強かった気がする。同じころに、萩尾望都のマンガにもはまっていたので、なんとも夢見る少年だったんですねぇ。

意外と面白くって、結構読み漁ったのが、シェイクスピアです。家にあった世界文学全集か何かで、「リア王」「オテロ」「マクベス」あたりを読んで、こりゃ面白い、と。あとは学校の図書館で借りて、ひたすら読んでました。このおかげで、今でも、台本を読む、ということに苦労がないんです。人によっては、台本を読んでいると、誰のセリフかいちいち確認しているうちにわけがわからなくなる、とおっしゃる方がいらっしゃいますけどね。シェイクスピアさまさま。

でもやっぱり、芥川龍之介、というのは別格に好きでした。家にあった日本文学全集で、他の作家の巻はほとんど読んでないんですけど、芥川の巻だけは擦り切れるほど読んでいる。この全集が、昭和30年代に刊行された古い本で、しみだらけの旧字体の本なんです。ページを開くとヘンな匂いがする。でも、それがなんとも異世界の感覚があって、大好きでしたね。今でも時々開いてみますけど、その日本語の美しさ、物語の面白さ、ぐいぐい読ませる迫力ある語り口、どれをとっても素晴らしい。やっぱり、明治の文豪の小説は、旧字体で読むに限りますね。

もう一人、はまった、というほど読みふけったわけではないですが、強烈な印象を与えたのは、江戸川乱歩です。「人間椅子」「人でなしの恋」などが収録された文庫本が1冊、家にあり、これを読んで相当なショックを受けました。

こうやって見てみると、ファンタジー・怪異・幻想、という、異世界趣味が非常に強いですね。こういう読書傾向が、現在の夢見るヒゲ男を生み出したわけです。気持ちわる。