また一つ、珠玉の一つ

また一つ、本番が終わりました。社会復帰できず、会社を1日休んで、自宅でこの日記を書いています。

過去、色んな本番がありましたけど、これほどの幸福感で演奏を終えた本番は、そんなにない気がします。共演者、サポートしてくれた仲間、大船渡市のスタッフの皆様、「蔵元」の水野酒蔵の皆様、ご来場いただいたお客様、そして天候や様々なコンディションまで、全ての歯車が、本当に最高の状態でかみ合ってくれた気がします。

過去、色んな本番を経験してきた中の、一つの本番。でも、その中でも、一生、宝物にできる本番でした。この企画に関わってくれた全ての人々に、心から感謝したいと思います。本当にありがとうございました。

かなり長くなりそうですけど、折角自宅にいるので、ルポルタージュ風に、舞台までを綴っていきたいと思います。(会社でこれやったら、さすがにクビになる・・・)
 
・8月19日(木)出発前日

気管支炎の状態は悪い。女房も決して万全ではない。翌朝、通勤ラッシュの中、娘と荷物を持って東京駅に向かうことを考えると、40歳近いサラリーマンの全身に、前倒しで疲労感が襲ってくる。女房と相談し、「東京駅近辺で、お宿をとろう」ということに。

早速、インターネットで検索し、日本橋の「住庄ほてる」というホテルに、和室を予約。普通のビジネスホテルだったんですが、これが大正解。

本番前日に、会場近くのビジネスホテルに泊まる、というのは結構経験があるんですが、大抵、ツインベッドにユニットバス、というアメニティ。お風呂はシャワーのみ、女房は、娘と一緒に狭いベッドで添い寝、という環境が当たり前だったんです。今回、その教訓を生かして、和室が取れるホテルを選んだのですが、この「住庄ほてる」には、1階に大浴場があったんです。いわゆるビジネスホテル、というより、修学旅行生や団体旅行のお客様を受け入れられるホテル、ということなのかなぁ。大きなお風呂を独占できて、ゆったり、くつろぐことができました。でも、小心者の私は、明け方くらいに一度、目が醒めてしまって、輾転反側していたんですけどね。ほんとに本番に弱いやっちゃ。
 
・8月20日(金)出発!海!注射!リハーサル!海!そして、あわび。

東京駅で、共演者たちと合流。東北新幹線で、水沢江刺の駅に向かいます。仙台在勤のKさんは仙台で合流。「xxさんが来ない!」なんてトラブルを一番恐れていたんですが、まずは何事もなく、一安心。

水沢江刺から、大船渡へ。9人乗りの大型タクシーに乗る。水沢江刺から大船渡へのルートは、普通、峠越えのぐにゃぐにゃ山道。これで2時間半、車に揺られるのですが、運転手さんが、「台風が過ぎた後で、木の枝とかも落ちていて危ないし、慣れない人は酔っちゃうから」と、大東市から気仙沼を経由する緩やかな道を選んでくれました。「このルートで行けば、大船渡港が一望できますよ」という運転手さんの声に、みんなで歓声を上げる。演奏旅行ですから、折角の旅行なのに、あまり観光の時間はないんです。しかも、峠越えのルートだと、山から町に降りていくので、海を見ることができない。運転手さんのお気遣いに、感謝しました。

ここで小トラブル。私、もともと車には弱くて、バスとかでも結構酔うことがあるんです。普通の体調であればさほど問題ないんですが、今回、風邪気味、ということもあって、大船渡港が見える頃に、急に下痢が襲ってきちゃった。情けないなぁ。運転手さんにお願いして、脂汗をかきながらガマンして、大船渡港わきの「おさかなセンター」でトイレ休憩。

でも、おかげで、短い時間でしたが、大船渡の豊潤な海の幸に直接触れることができました。鮮やかな銀色に光るサンマが山積みになり、新鮮なホヤが並んでいる。魚の入った発砲スチロールのケースのほとんどに、「地物」の札が入っている。三陸の海の豊かさを実感して、盛町へ。

今回の企画の裏方をやってくれている、女房の実家に到着。おそばの昼食をいただいて、みんなが蔵への荷造りなどを開始。その脇で、私は診療室へ。

女房の実家は、小児科・アレルギー科の医院なので、私が気管支炎がひどい、という話を聞いて、女医である女房のお袋さまが、てぐすね引いて待ち構えていたんです。早速診療台へ。太い注射器を2本ぶち込まれる。「これで治ったら名医だね」と、女房のお袋さまがつぶやく。治りますように。

少し休んで、コンサート会場の「No.3 Gallery」へ。共演者はみんな先についていて、アーキジャム事務室に衣装をかけたり、会場で音の確認をしたりしている。会場に入ると、既にパイプ椅子とピアノが搬入されており、調律師さんの前で、まずは音の鳴りを確認。

元酒蔵、という場所ですから、コンサート用の場所ではない。なので、立ち位置や、楽器の配置によって、随分音色が変わる。また、座席の場所によっても、随分と違って聴こえる。蔵の外の方が、ナマの声じゃなくきれいに響いて聴こえたりする。

ピアノの横に、クラリネット・バイオリン、と並んで演奏してみると、クラリネットとピアノ、人間の声が全部交じり合ってしまってもやもやする。これを、ピアノ・バイオリン・クラリネット、という配置にすると、音の粒が分離する。歌い手の立ち位置も、壁際だと、声が前に飛ばず、天井にそのまま吸い込まれたりする。一歩前に出ると、屋根の傾斜にうまく当たって前に飛ぶ。そういう試行錯誤を続けて、立ち位置、配置を確認していきました。

立ち位置が決まると、梁に渡した光源を、アーキジャムのIさんが脚立に乗って調整していく。世の中には、脚立の似合う美人ってのがいるんだなぁ、と見とれる。見とれてないで、「闘牛士」の声出しをしなさい、と怒られる。気管支炎も治りきってないし、翌日もあるからなぁ。ひーこちゃんが送ってくれたノド茶でノドを潤し、歌い始める。とにかく、声帯に無理をさせないように、いつもの歌とは全然違うポジションで、鳴らさないように、鳴らさないように、と、そればっかりを考えて歌う。自分の体には全然いい音が戻ってこない。まぁ、コンディションが悪いし、会場も狭いから、この程度でも聴こえてくれるだろう、と思いながら、なんとか一曲歌いきる。

そしたら、共演者全員から、「今の声の方が、練習の時より全然いい」と言われる。本人には何がなんだかよくわからない。ポジションと意識を変えたことで、体が非常にいいフォームにはまったらしいのです。「あんた、これから全ての本番前に風邪ひけ。協力してやるから」と女房に言われる。どんな協力だ。

都内のホールなどの舞台でも思うのですが、何もない空間、というのは、意外と狭く見えるものです。この「No.3 Gallery」も、中に何も置かれていなかったときには、「まぁせいぜい50人から60人くらい入れば満杯かな」、と思っていたのですが、いざパイプ椅子を置いてみると、意外なくらいに席数が確保できる。これなら80人くらいは入るかもしれない。Y氏からお借りしたジョーゼット幕を入り口にセット。これもとてもいい感じ。会場の仕込みは、思ったよりもずっとスムーズに、思ったよりもずっとコンサート会場らしく、仕立て上げることができました。

リハーサルと仕込みを終えて、再び9人乗りのタクシーで、碁石海岸の方へ移動。穴通磯や、雷岩、碁石灯台などを見て回る。このあたりで、空を覆っていた台風の名残の雲がすっかり消え、リアス式海岸に落ちる夕焼けの雄大な景色を楽しむことができました。タクシーの運転手さんも、「地元の人間でもこんなに綺麗な景色は滅多に見られません」とおっしゃっていました。台風の動きには心配したのですが、おかげで素晴らしい経験をさせてもらえました。

短い観光を終えて、大船渡市内のプラザホテルへ移動。Iさんと、女房のお袋さまも同席し、夕食。新鮮なホヤや、あわびのステーキに舌鼓を打つ。

夕食を終え、アーキジャム事務所で、最終仕込み。といいつつ、いつのまにか、事務所のソファーでみんなで寛いでしまう。寛いでしまう場所なんですよ、アーキジャム事務所というところは。Iさんは、自分の机に座って、そんなみんなをにこにこ眺めているだけなんですけど、みんな本当に、昔からの友人の家にいるように、すっかりなごんでしまいました。
 
・8月21日(土)本番。

朝、集合時間は10時。少し早めの9時45分ごろに、No.3 Galleryに行ってみると、蔵の外まで、メゾのKさんの声が聴こえる。なぜか、ソプラノの女房が歌うはずの「蝶々夫人」のアリアを歌っている。聞けば、ピアニストのEさんが9時には会場入りして、早速音だしを始めたとか。みんなの意気込みがすごい。

今回の演奏会は、前半が、ガレリア座の過去の公演で取り上げたオペレッタの名曲集、後半が、メンバーのレパートリーから、オペラの名曲集。前日の音だしで、後半の曲を、今日の午前中で、前半の段取りを確認する、というスケジュール。

注射2本のおかげで、咳は止まった(さすが、「名医」!)のですが、ノドの違和感はなかなか消えません。相変わらず、昨日のポジションを必死に支えながらの通し。選曲と構成上、4曲ぶっ通しで歌わないといけない。また、オペレッタの曲というのはどうしてもバスバリトンにとって高い音域が多いし、構成上、曲間にセリフを言わないといけない。どちらにせよ、声帯に少しでも変な力が入ってしまうと、最後までもちません。ひっきりなしに、ひーこちゃんのノド茶でうがいしながら、高いポジションを逃さないように、それだけを心がけました。

第一部の段取りもさほど問題なし。昼食時間に、受付スタッフの方々が到着したので、受付の段取り説明と、設営。再びIさんが、きびきびと動いて、ただの板と酒箱と布を組み合わせて、見事に受付を設営してしまう。スタッフの方々も、こちらの指示以上にてきぱきと的確に動いてくださる。出演者とプロデュースを兼ねていると、演奏に集中したいときに、受付周辺の段取りを突然聞きに来られたり、こちらが不安になって覗きに行きたくなったりすることが少なくないのですが、今回ばかりは、安心して全てをお任せすることができました。

14時の開演なのですが、45分前くらいから、早速お客様が集まってくる。緊張も高まってくるけれど、気になるのはとにかくノドの調子。ノド茶のうがいとビックスドロップで、声帯の違和感を取り除く作業に没頭しました。

そして、開演・・・
 
演奏についての感想を、出演者が語るのは難しいです。演じている側の感想と、ご覧になった方の感想が、必ずしも一致するとは限りません。個人的には、とにかく声帯を鳴らさない、昨日みんなに褒められたポジションを確保しつつ、あとは会場の響きに声をゆだねることだけを心がけました。演奏上も、細かいミスは一杯ありましたけど、とりあえず、大きな破綻はなく、きちんとしたパフォーマンスをお届けすることができたと思います。

でも、なんと言っても、出演者としての至福の瞬間、というのは、お客様の反応を直接確認できる瞬間です。今回の演奏会では、お客様の反応が本当によかった。こちらの狙っているところで、狙っている以上の反応を返してくれる。狙いはずれの反応がない。しかも、客席が本当に目の前なので、その反応がビビッドにこちらに伝わってくる。非常に密接なコミュニケーションを、お客様との間で構築することができた気がします。演奏者の意図をきちんと伝えることができた、という、練習の成果、とも言えるかもしれません。でも、演奏者の意図を瞬時に汲み取ってくれるお客様、というのは、意外と少ないもの。そういう意味では、本当に「ありがたいお客様」に恵まれた公演だった、という感想を持ちました。

終演後、入り口に並んで客だし。どのお客様も、笑顔です。演奏者も笑顔でお辞儀をします。舞台公演というのは、1時間・2時間の一期一会。それも、今回のような地方公演だと、お集まりいただいたお客様と、再びお会いできる保証なんてありません。それでも、笑顔の溢れる終演会場には、この幸福な「場」を共有できた、という、高揚感と共感が溢れていました。

随分長くなってしまいました。今でも、あの時間の高揚感が残っているせいでしょうね。もしも最後まで読んでくださった方がいらっしゃったら、その方も含めて、この演奏会に関わった全ての人々に、そして何より、あの場にご来場くださったお客様の一人一人に、もう一度感謝したいと思います。本当にありがとうございました。

また一つ、舞台が終わりました。そして、次へ。舞台に終わりはありません。舞台っていいなぁ。ほんとにいいなぁ。