水の記憶

新潟の洪水災害、大変なことになっていますね。被害が広がらないことを祈るばかりですが・・・
荒れ狂う水の映像を見ていて、ふと思いました。そういえば、最近身近に「水」を感じないなぁ。
 
確かに、水道の蛇口をひねれば、きれいな水が出てきます。でも、自分が子供の頃、というのは、もっと別の形の水が、色んな姿で身近にあった気がするんです。

昔住んでいた家の近くには、大きな溜池がありました。小学校の校庭くらいもある、大きな池。いろんな意味で、命の宝庫でした。フナなどの小魚も多く、釣り人が糸を垂れ、かいつぶりが群れる。僕らは、亀を捕まえたり、小さな淀みの中でうごめくミジンコを観察したりして遊んだものです。命の宝庫は、同時に、無数の死を飲み込んでいる大きな墓場でもありました。魚の死骸はもちろん、ネコの死骸も浮かんでいた。残酷な話ですが、ネズミ捕りで取れたネズミを、ネズミ捕りごと沈めに行ったこともあります。下手に手を入れて取り出そうとすると、噛み付いたりして危ないので、一旦そうやって溺れさせてから取り出すのです。色んな意味で、生命ということの意味を教えてくれる場所でした。
農業用水の供給を上水道に頼るようになれば、溜池という存在の意義はなくなります。また、ゴミ捨て場になったり、蚊が大量に発生するなど、衛生上の問題もあり、近所の溜池は、私が中学生くらいの時に全て埋め立てられてしまいました。埋立地には洒落たマンションや、子供用の運動場ができました。池の中に住んでいた生き物たちはどこにいったのかなぁ。
 
水、というと思い出すのは、側溝です。昔の家の脇には、必ずといっていいほど側溝があって、生活用水はそこに流れていました。不潔な話ですけどね。街中の側溝はほんとに汚かったんですが、でもそこにも、なんだかもやもやした水草とか、グロテスクな生き物がうごめいていました。兵庫の山の中にある両親の田舎に遊びにいくと、田んぼの脇に側溝が切ってある。ここを流れる水が実にきれい。当然のように、そこにはメダカやおたまじゃくしが群れている。都会の汚い側溝を見慣れている目にはそれが新鮮で、田舎に行けば、側溝にメダカをすくいに行ったものです。
今、兵庫に住んでいる私の母親の家の側にも側溝があり、農業用水が流れています。きれいな水なのですが、なぜかカエルしかいない。小魚や虫などは全然見当たらない。おたまじゃくしばっかりが、我が物顔で泳いでいる。他の生き物は住めないのに、カエルだけは住めるってのも、不思議ですよね。なんでだろう。
 
子供の頃、よく、道路の脇にきれいな水がちょろちょろ流れ出している光景に出会いました。水道管が壊れて、水が漏れているんです。上水道ですから、とてもきれいな水。水に洗われたきれいな砂が、水流の中でくるくる踊っているのを、何時間も飽きずに眺めていた記憶があります。水道管の作りが頑丈になり、水漏れがあってもアスファルトの下ですから、現在では考えられない光景ですね。
雨のあとの水溜り。水溜りの間に運河を作って、大きな水溜りから水を引く。土をこねて泥玉を作る。普段はただの歩く道が、雨の後には、子供たちの建築現場みたいになって、大騒ぎで遊んだなぁ。
 
道路がアスファルトで覆われ、土も水も、子供の側から消えました。不潔だったけど、無数の命をはぐくんでいた側溝や溜池は、全部地下に消えてしまった。水に触れる機会が減った人間に、時に狂ったように水が襲い掛かってくる図、というのは、どこか象徴的な感じがしてなりません。