「感謝祭」=サンクスギビングというのは、お祭り好きのアメリカ人の間でも最大の祝日の一つ。11月の第四木曜日、街のお店は全てお休みになり、全米に散った家族も家に集まって、七面鳥をメインとするご馳走を囲んで過ごす。翌日はBlack Fridayという大安売りでお店が賑わい、そのままクリスマスに向けて国中がお祭りムードになっていく。日本のお盆やお正月のような国家的行事。
でも、この「感謝祭」の成り立ちのお話を聞いた時、ものすごく違和感があったんですよねぇ。欧州から自由を求めてアメリカ大陸に上陸したピルグリムファーザーズを襲った飢餓と困窮。餓死者を出すまでに追い詰められた彼らを救ったのは、ネイティブアメリカンのワンパノアグ族で、彼らがトウモロコシの栽培方法を教え、食料を提供したことで入植者を救った、その慈愛に感謝するのが「感謝祭」のいわれである、という話。
でも、ちょっと待てよ、と。そんな風に自分たちの命を救ってくれたネイティブアメリカンの土地を収奪し、虐殺し、「西部開拓」という名の下に国を広げていったのがアメリカという国じゃないんかい。「僕らが滅ぼした種族からもらったお恵みに感謝しましょう」って、そんなお祭りが国の最大の祝祭日って、どんなメンタリティなんじゃ。
何を急に言い出したのか、と思われるかもしれないけど、実は今日は、11月26日に開催された女房企画のコンサート、「アメリカン・ソングブック3」の感想を書こうとしているのですよ。
欧州の伝統を受け継ぎつつ、現代音楽やジャズのリズムを取り込んで独自の進化を遂げたアメリカ歌曲の世界を、クラシック歌手がマイクなしの生の声で客席に届けてくれるこのシリーズ、企画の女房はこのコンサートの日程が決まった時に、「テーマを感謝祭にしよう」と即座に決定したそうです。女房は私のアメリカ赴任の時にボストンの友人の家に招かれて過ごした感謝祭の印象が強烈だったんだって。
米国最大の祭日、ということもあって、感謝祭をテーマにする曲って沢山あって、七面鳥を囲む豊かな家族の食卓をお祝いする祝祭的な曲も多いのだけど、既に3回目となるこのシリーズを企画する女房らしく、単純なお祭りソングばかりを集めたコンサートにはなっていない。故郷を捨てて荒野に向かったアメリカの原風景における「家族」への強い想い、失った故郷への郷愁。米国歌曲の通奏低音である「喪失感」が、お祭りを寿ぐ歌曲の合間合間に、荒野を吹き抜ける風のように心を冷やす瞬間がある。それを強く印象付けたのが、三橋千鶴さんがしみじみと歌ったフォスターの「故郷の人々」と、続けて歌われたA.プレヴィンの「母を故郷へ」。遠い旅路をたどって帰る家は唯一の心のよりどころなのだけど、大西洋の彼方にある遠い欧州の故郷から離れた死の荒野のただなかにあるんだよなぁ。
故郷を失った「喪失感」と、頼るべきものは家族だけ、という孤独感。そこに前述した「感謝祭」の起源が持っているアメリカの「原罪」としてのネイティブアメリカンの迫害、という歴史が重なると、感謝祭の食卓に並ぶ七面鳥も、人の原罪を背負って十字架に上ったキリストの姿に重ならないでもない。
感謝祭というのは、もともと欧州にもあった収穫祭の一種、という源泉も持っているし、冒頭に書いたワンパノアグ族の施しへの感謝、という話も、ネイティブアメリカンとの敵対の歴史に少しでも明るい物語を挿入したい、という思いが生んだ創作である、という説もあるようです。でも、そういう物語を産み出したくなってしまう所に、アメリカという国が抱えた「原罪」というか、この国の罪深さが垣間見える気もするんだよねぇ。18世紀に生まれた若い国で、「建国神話」を持たないアメリカにとって、ネイティブアメリカンを滅ぼしたという「原罪」そのものが「建国神話」となっている。キリストの犠牲を人の原罪とするキリスト教的倫理観とも合致するのかもしれない。昔読んだスティーブン・キングのホラー小説の中に、ネイティブアメリカンの聖地に封じ込められた邪悪な存在が解放されることで起きる恐怖、みたいなネタがあって、そういうホラー小説や映画って結構あるみたいです。建国のプロセスで自ら滅ぼしたネイティブアメリカンへの鎮魂や、彼らの持っていた豊かな精神世界そのものが、現代アメリカ人にとっての「神話」になっているのかもしれないなぁって思ったりします。
私自身はこの演奏会には仕事の関係で行けなくて、本番の2日後に送られてきたブルーレイを家で鑑賞した感想なんですけど(撮影担当のメーテルリンクさん、本当に毎回恐ろしく仕事が早い!)、選曲と構成だけでなくて、歌い手さん達のパフォーマンスも素敵でした。特にアンサンブルが良かった。東京室内歌劇場のソリストを集めたこの手の企画は時々拝見するのだけど、皆さんお忙しい中で練習時間を割いているせいか、ソロ曲のクオリティに比べてアンサンブルの練習不足が露呈することが多いのですけど、今回の企画のアンサンブルは、それぞれの歌い手の個性がしっかり見えながらもハーモニーが美しく決まっていて、特に第一部の最後に歌われた「感謝祭の歌(I'll give joyful thanks)」は素晴らしかったです。
アメリカの「原罪」ともいえる建国神話を背景に持つ感謝祭をテーマとした第一部から、祝祭的で楽しいクリスマスソングを中心とした第二部を聞いていると、キリストの犠牲からの連想で、アメリカという国が背負ってしまった様々な「原罪」が想起されたりもする。ネイティブアメリカンの虐殺、黒人奴隷への虐待、同じ国民同士で殺し合った南北戦争、原子爆弾と焼夷弾による日本人の大虐殺、そしてベトナム戦争。歴史上これほど人を殺した国はない、と言われるアメリカという国が背負った「原罪」に対する心からの赦しを願う想いが、楽しいクリスマスソングの中にもちらほらと垣間見える気がして、A.ロイド=ウェバーの「ピエ・イエズ」や、「あなたにささやかなクリスマスを(Have yhourself a Merry little Christmas)」が、単純なクリスマスソングや宗教曲に聞こえなくなってしまう。歴史も浅い若い国であるアメリカが、これだけ魅力的な音楽や芸術を発信できるのは、この国が世界の歴史を凝縮して重ねてしまった罪の多さと、それに対する贖罪の想いというのも一つの原動力になっているのかもしれないなぁ、なんて思ったりもしました。
撮影自由となった最後の記念写真、娘の撮影写真です。藤井先生、出演者の皆様、女房がお世話になりました。今後も是非続けていってほしいシリーズだと思います。