すいかバス

かなちゃんの小学校から、一番近いバス停は、電車の駅のそばにあります。
ある雨の日の帰り道、かなちゃんは、いつものバスに乗り遅れてしまいました。

教室に、お弁当袋を忘れたのに気がついたのは、学校を出て、随分歩いた後でした。
お友達の、ちほちゃんに、「いいから、先に行っててね!」と声をかけ、
かなちゃんは走って学校に戻りました。
教室には、誰もいません。
忘れ物のお弁当袋は、かなちゃんの机の椅子にぶらさがったままでした。
「みき先生も帰っちゃったのかな」かなちゃんは独り言を言って、教室を飛び出していきました。

走って走って・・・
でも、傘をさしたまま走るのって、結構難しいんですよね。
頑張って走ったのだけど、ちほちゃんと同じバスには間に合いませんでした。
バスの本数はそんなに多くありません。かなり待たないといけないなぁ。
傘を閉じて、バス停のそばの、屋根の下にある椅子に腰掛けて、かなちゃんはぼんやり、バス通りを眺めていました。
あと何分くらいで、バスが来るかなぁ・・・

駅前のロータリーの真ん中にある花壇に、綺麗な花が咲いています。
どの花も、雨に濡れそぼっています。
学校のお友達は誰一人、バス停にはいません。みんな、前のバスに乗ってしまったみたいです。
かなちゃんは一人で、ぼんやり花壇を眺めていました。
 
バスのクラクションの音がしました。
バス通りの先から、バスが近づいてくる音がします。
そっちを見て、かなちゃんはびっくりしました。

真っ赤なバスです!
かなちゃんがいつも乗るバスは、普通の、白い車体に、青と黄色の線が入ったバスなのに、
近づいてくるのは、どこもかしこも真っ赤なバス。
でも良く見ると、車体の下の方は、緑のシマシマもようがついています。
イカの模様のバスです!

あっけにとられているかなちゃんの前に、バスが止まりました。
運転手さんが、かなちゃんを見て、にっこりしました。
そうだ、行き先を確かめなきゃ。いつものバスと同じところに行くのかな。
バスの前に回って見てみると、こう書いてあります。

「野川・多摩川経由、東京湾行き」

・・・いつものバスとは全然違う行き先表示です。東京湾行きのバスなんか、ここで見たことありません。
模様も初めて見るバスだし・・・不思議だなぁ。

そう思っているかなちゃんの耳に、不思議な音が聞こえてきました。
 
ぺたぺたぺた
ぺたぺたぺた
きゅっきゅっきゅっきゅ、きゅっきゅっきゅっきゅ。

ぺたぺた、という音は、沢山の音が重なって、でも、規則正しく響いています。
きゅっきゅっきゅっきゅ、という音には、なんだかメロディーがついています。歌のように聞こえます。

きゅっきゅっきゅっきゅ、楽しいな
今日は遠足、楽しいな
東京湾に遠足だ
海のお魚元気かな
一緒に潜水できるかな
きゅっきゅっきゅっきゅ、楽しいな

歌の聞こえる方を見て・・・かなちゃんはまた、びっくりしました。
緑色の、かなちゃんよりもちょっと小さいくらいの子供たち・・・いいえ、人間の子供じゃありません。
そう、テレビで見たことがあります・・・頭の上が平らなお皿のようで、くちばしみたいに口がとんがっていて・・・

カッパです。カッパの子供たちです!

カッパの子供たちが、行列を作って、楽しそうに歌いながら、ぺたぺたと雨の中を歩いてくるのです。
カッパの子供たちは、バスの入り口の前に、きれいに列を作りました。

「あら、かなちゃん、まだいたの?」
カッパの子供たちの列の後ろに、傘をさした女の人がいました。
その人が、かなちゃんを見て言いました。
「みき先生!」かなちゃんはまたびっくりしました。
かなちゃんの担任の、みき先生です。
「みき先生って、カッパの先生だったの?」かなちゃんが尋ねると、みき先生は笑って、
「今日だけね。カッパの学校の遠足だからね。」と言いました。
「かなちゃんの家の近くも通るから、乗っていきますか?」
かなちゃんは大きくうなずきました。カッパの子供たちと一緒にバスに乗れるなんて、めったにあることじゃありませんからね!
 
「野川、多摩川経由、東京湾行きです。これから揺れますので、お立ちのお客様は、つり革、手すりにおつかまりください」運転手さんがマイクで案内します。
カッパの子供たちはみんな、お行儀よくバスの座席に座っています。
かなちゃんとみき先生は、手すりやつり革につかまりました。
ぷしゅー、と、とびらが閉まりました。バスは走り出しました。
カッパの子供たちは大騒ぎです。カッパの声は甲高くて、言葉の間に必ず、きゅう、という音が入ります。全員がしゃべると、なんだか、きゅっきゅっきゅっきゅう、と合唱しているように聞こえます。

「きゅ、野川から多摩川に入るんだよ。きゅ。」
「きゅ、僕ね、野川まではね、きゅ、行ったことあるよ。きゅ。」
「僕のおじいさんはね、信濃川でね、きゅ、人間とお相撲したことあるって。きゅ。」
「それはきゅきゅきゅきゅすごいねぇ。きゅきゅ。」

最後のは、みんなで一斉に言ったので、かなちゃんにはただ、「きゅきゅきゅきゅきゅ」としか聞こえません。

「ねぇ、きゅ、かなちゃんって、何年生?」一匹のカッパが、尋ねました。
「二年生だよ」かなちゃんは言いました。
「きゅ、二年生ってことは、きゅ、何歳?」別のカッパがたずねます。
「7歳」かなちゃんが答えます。
「きゅきゅきゅきゅきゅ!!」みんなが一斉に叫びます。「たったのきゅきゅきゅ、7歳なの?」
「みんなは何歳なのよ?」かなちゃんは、「たったの」といわれたので、ちょっとむっとして聞き返しました。
「僕、きゅ、18歳!」傍らのカッパが叫びます。
「きゅ、20歳!」
「きゅきゅ、17歳!」
「32歳!きゅきゅきゅ、ちょっと水がよくなくてね、きゅ。」

「カッパがここまで大きく育つのには、綺麗な水と、長い年月が必要なのよ」かなちゃんの側で、みき先生が言いました。
「でも、みんなまだ子供みたいだよ」かなちゃんが言いました。
「そうよ。かなちゃんくらいまで大きくなるのには50年。みき先生くらいになるのには100年はかかるわね。水が汚れてしまうと、もっともっと時間もかかるし、ひどい時には、ちゃんとしたカッパになれなくて、死んでしまうこともあるのよ。」みき先生が言いました。
 
「まもなく、野川に入ります」運転手さんが言いました。
入るって?とかなちゃんが思うまもなく、すいかのバスは、ひょいっと一飛びして、野川の中にざぶん、と飛び込んでしまいました。わぁ、と思うと、窓の外はすっかり川の中です。気がつくと、すいかのバスは小さなお魚くらいの大きさになって、すいすいと川の中を進んでいきます。すごい、潜水艦みたいだねぇ。

「きゅ、街が見えるよ、きゅ。」カッパたちが歓声を上げます。
「きゅきゅ、水面の向こうにビルが揺れるよ。きゅ。」
バスが橋の下をくぐると、橋の上を電車が走り抜けました。カッパたちは大騒ぎです。「電車だよ、きゅ、がたんがたんだねぇ。きゅ。電車だ電車だ、きゅきゅ。」

「カッパたちはいつもは、川の上流の、もっと水の綺麗な場所に住んでいるんだけど、年に一度だけ、街や海を見せるために、こうやってバスで遠足するの。でも、あんまり目立つわけにはいかないから、こっそり川の中を移動していくのよ。」みき先生が説明してくれました。「さぁ、そろそろ多摩川に入るわね。」

多摩川の広い流れにバスがすうっと入っていくと、急に窓の外の見晴らしが開けました。カッパたちがまた、歓声を上げます。きゅきゅきゅきゅ。

「さて、これ以上下ってしまうと、かなちゃんのおうちが遠くなってしまいます。運転手さん、ちょっと寄り道してくれますか?」みき先生が言いました。

「かなちゃん、きゅ、いっちゃうの?きゅ。」カッパが叫びます。
「かなちゃん、また会おうね、きゅ。」
「山の中の綺麗な川で、きゅ、きっと会おうね」
「そうね、約束ね。き・・・」かなちゃんはにこにこ返事して、思わず、「きゅ」と言いそうになって、口に手をあてました。
バスは川面から、ひょん、と飛び上がり、道路の上を走り出しました。気がつくと、かなちゃんの家の近くのバス停です。
「かなちゃんの家の前」運転手さんがいいました。バスの扉が、ぷしゅーっと開きます。
「みんなはこれから、多摩川を下って、東京湾まで行くのよ。」みき先生が言いました。
「広い広い海を見るの。かなちゃん、一つお約束。」みき先生の顔が真面目になりました。
「カッパさんの遠足のことは、このバスを降りたら、誰にも言っちゃだめですよ。人間には秘密のことですからね。いい?」
「わかった。」かなちゃんはうなずきました。
「ばいばい、きゅきゅきゅきゅ、ばいばいね」カッパの子供たちが一斉に手を振りました・・・
 
・・・ふとかなちゃんが気がつくと、かなちゃんは、走っているバスの一番後ろの座席に座っていました。
うとうと、眠ってしまったみたい。
あれ、たしか、カッパの遠足のすいかバスで、おうちに帰ってきたはずなのに。
バスは確かに、おうちに向かういつものバスです。
バスが止まりました。ぷしゅーっと扉が開きます。
「地域福祉センター前」と、運転手さんがいいました。かなちゃんの家の近くのバス停です。
かなちゃんは、バスを降りました。
後ろで、扉が、ぷしゅーっと閉まりました。
雨が肩をぬらして、かなちゃんは慌てて、傘をさしました。
 
ひょっとして、夢、だったのかなぁ。
かなちゃんはそう考え始めました。バスに乗っているうちにうとうとしてしまって、その間に見た夢だった気がします。
そう思った方が普通ですよね。だって、カッパの遠足なんて・・・しかも、みき先生が、カッパたちの引率をしてるなんて・・・

でも、夢にしてはあんまりくっきりした感じが残っていて、なんだかよく分からない感じがします。どうだったのかなぁ。
 
翌日、学校の休み時間、かなちゃんは、そっと、みき先生の側に寄っていきました。
「ねぇ先生」かなちゃんは思い切って言いました。「先生って、カッパの先生?」

みき先生は、じっとかなちゃんを見つめました。
そして、にっこり微笑んで、言いました。

「あれ?ばれた?」

そうして、指をそっと、唇のところに持っていって、「しいー」と言いました。
「ないしょないしょ」
 
教室の外では、あじさいが満開です。
 
<おしまい>