古きよきニッポンと阪神

阪神ファンというのはジンクスに弱いのです。辞書で調べると、「ジンクス」というのはもともと縁起が悪いものを意味する英語「jinx」が語源で、英語「jinx」は、魔術に用いるキツツキ類の名をさすギリシャ語に由来するそうな。つまり、和製英語なんですね。話がそれたぞ。平常心が保ててないからな。今日は話がどこに行くか自分でも分からんぞ。

というわけで、私のこの日記に阪神のことを書くと、阪神がボロボロに負け始める、という「ジンクス」があるので、今シーズンは、今日の今日まで阪神のことを書くのは避けておりました。試合を見ると負ける、という「ジンクス」もあるので、今シーズンはリアルタイムの野球中継は見ないで我慢、携帯のネット中継で途中経過をチェックすると負ける、という「ジンクス」もあるのでそれも我慢、勝ったときだけ翌日のニュースをチェックする、というフォローの仕方。それって、野球を楽しんでるって言えるのか?さすが、マイナス思考の阪神ファン。逆立ちして駅から家まで歩いた日は阪神が勝つ、なんて「ジンクス」がなくてよかったね。あってたまるか。

星野阪神が偉大だった、と思うのは、星野さんがすごかった、ということも勿論あるのですが、「阪神」というビジネスがまだまだ有効である、ということを親会社に自覚させた、ということだと思います。球団が強くなることが、親会社の収益に大きく影響する、という構造を持っている球団は、12球団の中で阪神と巨人しかいない。ソフトバンク楽天のように、一般に知名度が低い企業にとっては露出の意味があるかもしれませんが、西武、ヤクルト、日本ハム、ロッテなど、球団経営が企業の収益に直接影響しているとは思えない。でも、巨人は、TVの視聴率という形で収益に影響するし、阪神は関西圏でのTV視聴率と共に、関連グッズなどの収入が直接親会社を潤す。巨人が弱体化してきたのは、巨人が弱いからTV視聴率が下がった、ということよりも、視聴者の好みが多様化して、野球中継というイベントそのもののTV視聴率が下がっている、という構造と無関係ではない気がする。

野球というコンテンツが、日本人の娯楽として、既に王者の座から転落してしまっている中で、「阪神」というビジネスだけがまだビジネスとして成立する。ある意味、野球が日本人の娯楽の王様だった、「古きよきニッポン」が、いまでも阪神球団というコンテンツに生き残っている。

そう考えると、阪神球団が、いまや地盤沈下はなはだしい関西経済圏をバックにしている、という関連性が見えてくる。公共事業による公金バラマキで地元の建設業者を潤わせ、無駄な公共施設やガラガラのオフィスビルに埋もれた大阪の街は、「古きよきニッポン」の幻想から未だに抜けきれない「関西」の精神風土を如実に現している。その関西が、みずからのアイデンティティと精神的支柱を阪神球団に頼る。ガンバ大阪じゃ、「古きよきニッポン」じゃないんです。阪神じゃなきゃ。

「古きよきニッポン」=「野球が娯楽の王様だったニッポン」=「阪神球団」という等号は、さらに、関西出身者に特有の東京文化圏への反発から来る「関西人」というアイデンティティと相俟って、「懐かしき阪神」という、一種の郷愁を生む。阪神球団が全国区になる素地がここにある。関西出身者の郷愁と、関西在住者の「古きよきニッポン」への郷愁が合成された熱狂。その熱狂に巻き込まれ、新たな熱狂が再生産され、阪神ファンという現象が増殖する。

自分の中でもあまり考えがまとまっているわけではないのと、平常心を失っているおかげで、なんだか支離滅裂な文章になっていますね。言いたいことは、

・「野球」という、長期的には確実に衰退していくビジネスにおいて、
・同じく衰退の一途をたどる「関西」という経済風土を背景に、
・「古きよきニッポン」と「関西文化圏」への郷愁という精神風土をベースとして、
・「阪神球団」が、プロ野球球団の中で唯一、ビジネスモデルとして成功した。

ということです。現時点で、ここまでの成功のサイクルを築いた球団は他にない。従い、しばらくの間、

阪神こそが、日本プロ野球界の真の盟主である。」

という現象は続くのでは、と予想します。ダンカンかお前は。いや、マジで。

しかしながら、全体的に「野球」という娯楽が衰退していく(というか、大衆の興味が多様化していくなかで相対的に地盤沈下していく)中で、他球団が、阪神球団と同様のビジネスモデルを確立することはかなり難しい。ソフトバンク、ロッテ、日本ハムなど、地元密着型を目指す球団がいくつか出てきていますけど、方向性としては絶対正しいと思います。巨人も視聴率に頼ったビジネスモデルじゃなくて、なんか別のこと考えた方がいいんじゃないかなぁ。はっはっは。(性格ワル)