世に試験ほど・・・

会社から、「通信会社の社員として、全員、最低一つはIT資格を取得してないと恥ずかしいと思わんか」と言われて、必死こいて勉強して、なんとか合格しました。ComptiaのNetwork+、というIT資格試験。別に、ほんとに大した試験じゃなくて、LAN/WAN構築の初歩の初歩、という試験なんだけど、試験、といわれると、背筋にぞぞっと来てしまう。これはもう、身に染み付いてしまった性なんですよねぇ。

以前この日記にも書いたことがあるのですが、私は、灘中・高・東大といういわゆる「高学歴」の象徴のようなルートをたどってしまいました。たどってしまってから、自分がなんだか荷の重い看板を背負ってしまったことに気付く。「なんだ、東大出のくせに」という言葉は、言う側にとっては気楽な言葉かもしれませんが、言われる側にとっては辛い言葉です。自分の過去に戻って学歴を消しゴムで消すわけにはいかないからねぇ。

とはいえ、そういう看板に恥じない自分を維持するために、日々修練しなければ、なんていう向上心もない。ただのんべんだらりと年を経るに従って、脳みその皺はきれいさっぱり失われ、今私の頭の中にあるのは、つるんつるんの腐った豆腐だけ。豆腐って腐ってるからいいのか?これ前も書いたっての。豆腐ってのは当て字で、別に腐ってないらしいぞ。これも前に書いたからね。しつこいね。すみません。

というわけで、「なんだ、東大出の癖に、初歩の初歩のIT資格試験も合格できないのか」と言われるかもしれん、という恐怖感で、泣きながら勉強をする。勉強というのは、楽しくやらないとダメです。泣きながら勉強すると、あとで勉強が嫌いになります。学歴とか資格だけ手に入れたら、後で全然勉強しなくなります。そうして脳みその皺がなくなって、頭のなかには腐った豆腐だけ。まだ言うか。ごめんなさい。

てなわけで、会社で設定されたセミナーを泣きながら受講し、もらったテキストや市販の問題集を泣きながら勉強し、泣きながら作った単語カード(なつかしー)で、満員電車の中で泣きながら自習したおかげで、なんとか合格しました。もう勉強せんぞ。こうして中身のない「有資格者」という看板だけが残るんだよなぁ。

高学歴の人の中には、私みたいに、泣きながら勉強したおかげで、勉強が嫌いになっちゃった人もいる。勉強しか楽しみを知らなくて、他の楽しみを知った途端に勉強しなくなっちゃった人もいる。ほんとに勉強が楽しくて、大人になっても常に勉強していて、その勉強が苦にならない人ってのは、そうそういない。しかも、その中でも、実務に長けていて、社交的である、なんていう条件を付けていくと、本当の「エリート」たる人物というのはものすごく限られてくる。

学歴社会の問題というのは、「高学歴である」=「エリートである」という、実は全然等号では結べないものを等号で結んでしまった間違いからスタートしている。エリートであるためには常に、「楽しい勉強」を積み重ねていくことが必要なんだけど、試験に合格した人が、泣きながら勉強をした人か、楽しく勉強をした人か、なんてのは、試験結果では分かりませんからね。

エリートであるためには、生涯、勉強を重ねていくことが大事だし、そのためには、「勉強が楽しい」と自然に思えることが、「エリート」の条件である。「勉強が楽しい」と思うことも才能だとするならば、エリートたるべき才能、というのは、試験勉強だけでは測れない。試験勉強に合格する、なんてのは、エリートになるための入り口に過ぎないんだよねぇ。というわけで、勉強が楽しくない高学歴の私みたいな人間は、高学歴でありながらエリート失格、ということで、世間の冷たい風を受けながら、社会の隅で体を丸めて生きていくのである。勉強すりゃいいだろうがよ。泣いちゃうよ。うるうる。