阪神ファンという生き方

今年も始まってしまいました。そうです、プロ野球です。なぜだか、私は阪神ファンです。なんでなんでしょう。自分から進んで選んだわけじゃありません。言ってみれば災難です。関西人として生まれ、全身阪神に漬かった父親の下で育ってしまった、その環境が悪いのです。たったそれだけのことで、どうして毎年私はこんなに苦しまねばならないのですか。勝てば勝つほど、次の敗戦の予感におびえ、負ければ負けるほど、どうして勝てないんだと落ち込み、要するに勝っても負けても不安になるのです。ピッチャーのローテーションが気になり、鳥谷のスタメン抜擢に首を傾げ、キンケードの不調に「阪神の助っ人で頼れるのはバースとアリアスと外人ピッチャーだけや」と愚痴を言い、巨人戦3連勝の時は全てのスポーツニュースを深夜まで見まくり、佐々木にネコのように抑えられてしまっただけで「このあと20連敗したらどうしよう」と不安になるのです。「あんたのその阪神愚痴を聞いていると吐き気がする」とまで女房に罵られ、それでもやめられないこの生き方。私の父は胃がんで死の床についていた時まで、野村阪神の負け試合を愚痴っていました。私の母はナイター中継を見ながら毎晩「うてぇ」「なにやっとんやー」と絶叫しています。兄は自分の著書の中で、「関西人である以上阪神ファンであるべきだ」と堂々と論じていました。そんな中で、どうして自分を主張しなかったのか。ずるずると主流に流されてしまったのか。今となっては記憶にすらない、幼い頃の選択が、こうして私の一生にどうしようもない蹉跌を刻み込んでいるのです。そうです。私は阪神ファンです。ちきしょー。神様のばか。今晩は勝ってくれるといいなぁ。いや、負けてもいいんだけどさ。別に世界が滅びるわけじゃないんだから。でも勝ってくれるといいなぁ。いや、別に負けてもいいんだけど・・・