「イエスの遺伝子」〜エンターテイメント界におけるキリスト教〜

週末、図書館で借りてきた、「イエスの遺伝子」を読了。面白かったけど、心揺さぶられる、なんていうものじゃなくて、まぁなんてことのないエンターテイメント小説です。でも最近、どうも本の読み方が変わってきていて、子ども、特に女の子がひどい目に遭う話ってのに感情移入しちゃうんだよね。自分に娘が出来た、というのが大きいと思うのだけど。(以下、若干ネタバレがありますのでご注意。)主人公の娘が不治の病(脳腫瘍)に冒されていく過程が非常にリアルで、そういう所に思わず感情移入しちゃうんです。作者の思う壺にはまっていくようでイヤなのだけど、しょうがないよねぇ。

その娘の病を、「歴史上最も信頼できる治癒能力を有した人物の遺伝子」を使って治療しよう、というストーリーの前提自体、うひゃあ、と思うのだけど、その「歴史上最も信頼できる治癒能力を有した人物」が、イエス・キリストだ、というところでまた、うひゃあ、となってしまう。キリスト教世界において、イエス・キリスト、というのは確実に、「実在した人物」なんですね。無心論者、として描かれている主人公の遺伝子学者でさえ、イエス・キリストの実在と、彼が起こした秘蹟を史実として疑っていない。無宗教、といいながら、その記録を史実として信じていること自体、信仰じゃん、と思っちゃうんだけど。

「インディー・ジョーンズ」のシリーズや、「オーメン」のシリーズ、その他、西欧から発信されるエンターテイメントの世界の根底には、強固なキリスト教の思想基盤がある。今、世界において、エンターテイメント界の大部分は、西欧、特に米国から発信されるソフトに占有されていますから、エンターテイメント界の思想基盤の大部分は、キリスト教に依存している、といっていいはず。そういうキリスト教の強固な基盤のようなものを感じた本でした。逆に、日本発信のホラー映画とかは、そういうエンターテイメント界の「常識」としてのキリスト教から発生していない所が、西欧人には新鮮なのかもしれないですね。