ヴァランタンが守るものは?

先日、「ファウスト」の話を女房としていて、「そもそもなんだってマルガレーテはあんなに責められなきゃいけないんだろう?」という話になる。確かに、結婚してないのに妊娠した、というのはスキャンダルではあるだろうけど、あんなにヴァランタンにボロクソに責め立てられるほどの罪なのかね?そういえば、「カヴァレリア・ルスティカーナ」のサントゥッツァも、婚姻前の姦通を理由に教会から破門されている。そう考えると、一番最初に立ち返って、「汝姦淫するなかれ」っていうキリスト教の教えって言うのは、どうして決められたんだろう?・・・あら、ちょっとエッチな話になってきたかな?

例えば、仏教、特に密教とか、ヒンズー教とかは非常に性に対しておおらかですし、男女和合によって得られるエクスタシーと宗教的な悟りの境地を同一視するような傾向がある。その一方で、キリスト教は性に対して極めて厳格で、快楽のみのためのSexを基本的に認めていない、という印象があります。女房との会話では、「要するに西欧人は東洋人よりも性欲が強くって、宗教による抑制がないと無茶苦茶になっちゃうからかねぇ」なんて話をしていたんですが、それは冗談として。実際、ヴァランタン、という、マルガレーテの「姦通」を責め立てる役を理解するには、キリスト教世界における「性の禁忌」みたいな部分が理解できてないと、厳しい気がしてるんだよね。

という会話を女房と交わした後、本棚に「積読」状態で手をつけていなかったミシェル・フーコーの解説本を読んでいたら、その中に、「キリスト教会における告白・告解のシステムは、個人の中で主体を破壊する衝動として生まれる性衝動をシステム化するための権力構造であった」みたいな文章があって、色々と考えが広がっていく。「ファウスト」の前にこういう文章に出会うっていうのは、以前にも日記に書いた「神の手」の仕業かな?

性の告白、というのはキリスト教世界、特に18世紀以降のブルジョワ社会において非常に大きな一つの文化ジャンルだったらしくて、赤裸々な性の告白文学がベストセラーになったり、何ということはない普通の姦通事件の公判で、裁判官や検察が異常なまでに詳細な犯罪記録を被告・原告からの「告白」によって作り上げ、それが出版されてベストセラーになったりしたそうな。そう考えると、三島由紀夫の「仮面の告白」も、「性の告白」文学だったよね。もともと、「ファウスト」のマルガレーテのモデルになった、ゲーテが実際に見聞きしたという嬰児殺しの事件も、一種そういう「性の告白」としてスキャンダルになったものだったのかもしれない。

性欲求が主体を破壊するものとして機能する、簡単に言えば、自分の理性とかではコントロールできない衝動として発動することによって、何が起こるか、といえば、それは社会の最小単位であるところの「家族」の破壊なんですね。その社会がどういう「家族」を最小単位として採用するか、によって、性に対するコントロールの仕方が変わってくる。

江戸時代に西鶴の心中ものが大人気になったのは、前述の告白文学の流行と同様に、江戸の封建社会を支えた身分制度を破壊する「身分を越えた性愛」に対する禁忌への反動、ともいえるんでしょうか。逆に言えば、身分制度の中に閉じている限りにおいて、日本の性に対する感覚は極めて開放的だったし、今でもそういう傾向はある気がします。しかし、身分制度というシステムも、西欧的倫理というシステムも何もないところで、ただ開放されてしまった最近の日本の性事情には、かなり問題がある気がするけどねぇ。

とすれば、ヴァランタンが責め立てるマルガレーテの「罪」とは、ファウストと愛し合った結果としての妊娠・出産、という現象そのものではなく、ヴァランタンが住み、理解できる彼の村のシステム、世界の秩序が、ファウストというマレビトの乱入と彼との姦通という事実によって破壊されたことに対する怒りであり、その破壊を生み出した(ファウストを引き入れた)マルガレーテの裏切りに対する怒り、なんだね。

そう考えていくと、序曲の最後の方に、ヴァランタンのカヴァティーナのメロディーが鳴り響くことの意味、というのも分かる気がしてきた。女房と、「どうして序曲にあのメロディーが入り込んでくるのかな」という話をしていたとき、女房が、

「あれはヴァランタンの住む町、世界の秩序の象徴なんだよ。ちょうど宇宙から宇宙船が地上に向かって舞い降りてくるような感じの序曲なんだと思うんだ。メフィストが、神の住む世界から地上のファウストに向かって舞い降りていくように。世界全体を包み込む音楽から、どんどん視界が降りてきて、ヴァランタンの住む平和な村と、それを包む秩序が見えてくる。そのさらに奥に、そういう秩序に組み入れられることなく、孤独に苦悩するファウストが見えてくる。そしてメフィストはその玄関先に降り立つ。とても映画的で、視覚的な序曲だと思うよ」

という解釈を聞かせてくれた。なるほどなぁ、と思うと同時に、ヴァランタン=秩序、という等式を非常にクリアに見せている、知的な音楽なんだな、と思いました。

ただ、こういう自分なりの構造理解ができても、いざ役作りとなったらそういう理性的な処理はかえって邪魔になる気もしている。自分自身が象徴している、自分自身を包み込んでいる秩序やシステムの存在自体、ヴァランタンは自覚も意識もしていないだろうと思うから。むしろ彼自身も、マルガレーテの子供を見たとき、なぜこんなに惨めな思いになるのか、こんなに怒りがこみあげてくるのか、自分でも理解できない衝動に突き動かされるようにマルガレーテを責めるんだろうな、と思うから。

ファウスト」は本当に深い森で、日々様々な発見や冒険がある。まだまだこの森の中には、色んな宝物や、あるいは危険な罠が待ち構えているような気がします。あと1週間強、一体この森の中で、何が見つかるのか、まだまだ楽しみは尽きません。