関西のケレン

帰省から帰って参りました。娘とプールで遊んだので、肩が日焼けでヒリヒリ痛い。そしてお父さんは何事もなかったかのように仕事にいそしむのです。下界の暑さが身にしみるぜ。

留守中、一番気になっていた大久保混声合唱団の定期演奏会も、成功裡に終ったようで、本当によかったです。さ、数日間の空白をなんとか埋めねば。

さて、帰省先は、兵庫県だったのですが、今回、色んな局面で、関西のケレン、というか、派手好み、サービス精神、みたいなものを感じました。関東にはない、ソース味のコテコテさ。今日はそのことを少し書いてみたいと思います。
 
関西のケレン、を説明するのに、一番いい例は、何と言っても「タカラヅカ」でしょう。男装の麗人が、派手なメイクで歌って踊るだけでも十二分に、「コテコテ」なのに、さらに舞台を覆う電飾ばりばりの大階段の上から、巨大な羽根を背負って次から次へと派手な衣装で降りてくる、これこそ関西のケレンの究極の姿。
要するに、見た人が、「おお、そこまでやるかい!」とびっくりするような演出。関西のサービス業では常にそれが求められる。びっくりするような割引。びっくりするような濃厚サービス。お客様を驚かせてナンボ、というのが関西の基本、関西の「ケレン」なんですね。

今回、そういう「ケレン」を感じたのは、お料理でした。
亡父の法要があり、親族で集まって食事会をしたのですが、実家の近くにある「まさ木」という料亭のお食事が、これが本当にケレンに溢れた懐石だったんです。
まず、最初に出てきたお刺身は、籠に盛られていて、籠の取っ手のところには風鈴をかたどった小さな鈴がぶら下がっており、そこに、「涼風」とかかれた小さな短冊が下がっている。煮豚とコケモモは、京都の祇園祭りの山鉾をかたどった陶器の器に盛られてくる。極めつけは胡桃ソースで味付けされたサラダで、竹の葉の上に竹を割って蓋をして、その竹の上に、胡瓜を見事に刻んで、ホンモノそっくりのカエルに仕立てて置いてある。連れて行った娘も大喜びしながらいただきました。お料理は季節柄のハモ尽くし、一つ一つの器も、お料理も、「ケレン」味たっぷりに楽しめる、美味しいお料理でした。

自分が関西出身なので、こういうケレン味、というのは、ある程度身についている気がします。でも、関東の懐石料理には、こういう「ケレン」ってのはないですね。関東はむしろ、「そこまでやっちゃぁ野暮だよ」という感覚。つまり、「さりげなさ」が求められる。表に出ない所を充実させる。それにちゃんと気が付いて、楽しめるお客様が「粋」。お客様と、もてなす側との、緊密なコミュニケーションが軸にある。関東の粋を楽しむには、お客様側にもそれなりの修練が必要なんです。

でも、関西の「ケレン」に修練なんて必要ない。子供にも分かりやすく、「どうだ!」と押し出してくるのが関西。昔、「料理の鉄人」で、道場六三郎神田川俊郎の対決を見たことがありましたけど、神田川さんは終始、「どや!」「どや!」(どうだ!の関西弁)で押してくる。それに対する道場さんは、「面白い人でしょ、この人」とにこにこしながら、一見なんでもないブリ大根なんかを作ってくる。これが無茶苦茶おいしくて、結局、道場さんが勝ったりする。でも、ひょっとしたら、今後はそういう「粋」よりも、「ケレン」で勝負していかないといけない世の中になってくるのかもしれないなぁ、と思います。

与える側も受ける側も、ある程度の修練・知識を共有しているからこそ、共有できるさりげない「粋」なサービス。ハリウッド映画のように、子供にでも分かる派手さと豪華さで押してくる「ケレン」味たっぷりのサービス。人間がだんだんに欲が深くなり、基礎知識や修練を面倒臭がって、見た目の豪華さに惹かれるようになってくると、関西の「ケレン」というのが、だんだん中央にのし上がってくるのかもしれないなぁ、と思います。

個人的には、関西の「ケレン」をさらに強烈にしたのが韓国、中国、だと思っていて、最近の「韓流」ブームなんか見てると、関西もっと頑張らんかい!という気分になってくる。ちなみに、関西では、電車にのっているお姉ちゃんたちのメイクや髪型も、ケレン味たっぷりです。まっ茶色の髪を見事に縦ロールにして、目頭にくっきりL字のハイライト入れたお姉ちゃんとかを見ると、関西にきたなぁ、と実感するんですよねぇ。