地方都市のありかた その2

私の実家は現在、西宮市のはずれにあるのですが、母親の出身地は三田市で、実家も三田市に隣接しています。三田、と見て、「さんだ」と読んでくれる人はどれくらいいるかなぁ。東京の「みた」の方が全国区ですからね。兵庫県三田市。最近、東京にも出店している、三田牛の三田屋さんなんかが有名です。

この三田市、大阪と結ばれている幹線鉄道の福知山線が電化されたことに伴って、大阪中心部に1時間ちょっとでつながるようになり、一気にベッドタウン化が進みました。高層マンションや住宅街が広がり、私が子供の頃の山深い田舎町から、近代的な住宅地に変貌。人口増加率で日本一を数年間続けたこともあります。

そういう意味では、以前この日記に書いた、岩手県大船渡市とは全然趣きが違う。大船渡は、地域経済の縮小と、人口減少に悩んでいますが、三田市は、人口だけを見れば破竹の勢いです。でも、どことなく閉塞感がある。大船渡とは別の、地方都市の苦悩を感じることがあります。

私の兄は、三田市にまつわる歴史書や、偉人伝を数冊著している郷土史家なのですが、今回の帰省で、三田市の図書館で講演会を開催させていただきました。その講演会を聞きに、家族総出で三田市の図書館に行きました。この三田市の図書館の隣には、大きな「洋服の青山」の店舗があるんです。その光景を見て、「これが今の三田市なんだなぁ」と思った。

要するに、急激な都市化によって、新しい都会人と共に、都会の文化が急激に流入して、元々あった郷土の古いものを駆逐し始めているんですね。「洋服の青山」だけではなく、三田市の幹線道路には、東京でもおなじみの大手チェーン店がずらり、と並んでいます。その脇で、三田市に古くからあった商店街は壊滅の危機にさらされている。

経済的な弱肉強食の構図は、ある意味仕方ないのかもしれないですが、私が危惧するのは、文化の面でも「大都市の縮小コピー」化が進むことです。大都市から受容するばかりで、全く自分から生み出そうとしない。それは、三田市がかつて持っていた、豊穣で懐の深い独自の文化が破壊されてしまうことを意味します。実際、図書館には若い親子が結構集まっているのに、兄の講演会に来ているのは地元のお年寄りが中心。若い親子は大阪や神戸から流入してきた新三田市民で、三田の郷土史に興味なんかないんですね。そういう新三田市民が支える、三田の文化って、どんなものになっていくんだろう。

例えば、三田市の近くに、篠山市、という町があります。「デカンショ祭」で全国的に有名な町ですが、この「デカンショ祭」を見に行ったことがあります。

これが無茶苦茶不便なところなんです。祭りの会場までは、電車の駅からバスで15分くらいかかる。このバスの最終便が、お祭りの途中で終ってしまう。町の中にタクシーは5台くらいしかない。駐車場もない。要するに、「よそから来た人は途中で帰るか、市内に泊まってちょうだい」というお祭り。

このお祭りが実にいいんです。お祭りだけではなく、そのお祭りの会場に至る町並みが、今流行の昭和レトロの先駆け、という感じで、古きよき町並みをそのまま保存、再現している。実に美しい、統一感のとれた町並み。篠山城を眺めながらの華やかな踊りの輪は本当に色彩豊かで、地元の数々の「連」が次々に踊りの輪に加わっていく姿は壮観でした。

同じように、大船渡市の「五年祭」というお祭りに、家族で参加したことがあります。これも壮観。4年おきに行われる町を挙げての大きなお祭りで、3日間、商店街を巨大な山車が何台も練り歩き、それぞれの山車の後ろに、数十人の踊り子達がそれぞれの振り付けで踊るのです。

弘前に住む親戚が、「新幹線が八戸で止まってよかった。新幹線が来たら、弘前は滅びる」と真剣に言っていたことがあります。都市とのパイプが太くなればなるほど、都市の文化の流入がどんどん激しくなり、郷土の文化が破壊されていく。篠山市の、不便きわまりないけど、実に美しい町並みや、大船渡市の、経済的には縮小していく中でも壮麗な五年祭を見た目には、チェーン店に溢れ、大都市に1時間で行けるとても便利な三田市が、妙にすさんだ町に見えてくる時があります。

郷土の祭は、郷土のアイデンティティが強烈に表現される場。大都市のコピー文化に侵されて、地方都市がアイデンティティを失ってしまった時、その地方都市のお祭は、一体どうなっていくんでしょう。