デセイの「椿姫」はやっぱりよかった。

WowWowで先日放送されたMETライブビューイングは、大好きなナタリー・デセイの「椿姫」。あのザルツブルグのデカー演出をMETが取り上げた舞台で、私はハコフグ、じゃない、マリーナ・ポプラフスカヤのヴィオレッタで、METの本舞台で見たものだから、懐かしさもあって録画。もちろん娘のお目当ては、パパ・ジェルモン役のホヴォロストフスキー(銀髪)。ライブビューイングだから本番舞台の迫力には及ばないし、何より、デセイの声の調子が悪くて、決してベストな舞台とは言えなかったのに、本舞台よりもよっぽど泣けた。デセイは声の調子が悪い、と言っても、それでも決めるところはしっかり決めてくるし、2幕後半から3幕を連続して休みなしにやるこの過酷な演出舞台で、これだけの歌唱を最後まで続けられる精神力と、カンペキなブレスコントロールには脱帽。3幕の死にゆく場面では、その時折かすれる声がかえってリアリティを加えたりして。

デセイさんお得意の「ランメルモールのルチア」とこの「椿姫」に共通するのは、作曲家がサディストなのではないか、と思うほどヒロインが虐待されるところだよね。こういう哀れな壊れていくヒロインをリアルに、しかも音楽的に表現させたら、やっぱりデセイさんにかなう人はそうそういないと思う。世界一のソプラノ歌手、とは言わないけど、世界一の演技派ソプラノ歌手、と言ったら誰も文句なく、デセイさん、と答えるんじゃないかなー。ホヴォロストフスキーのパパ・ジェルモンはマフィアみたいで、デッカー演出の現代的な舞台には結構はまったけど、田舎の純朴なオヤジ、という感じはしなかった。歌は嫌味なくらいカンペキだったけどね。ポレンザーニのアルフレードは意気地なしな感じがとてもよかった。

新しい酒を古い皮袋に入れる、という言葉がありますね。もともとは、そうすると酒も袋もダメになるからやめとけ、新しいものにはそれにふさわしい新しい形式があるはずだ、という言葉らしいんだけど、逆に、新しい酒を古い袋に入れる(新しいものを古い形式で表現する)ことによる効果もある、みたいな使われ方をすることもあるそうな。デッカーの演出を見ていると、「古い酒を新しい袋に入れる」みたいな感覚があるよね。同じ演出でも、ポプラフスカヤのヴィオレッタはあんまり泣けなかったのだけど、デセイヴィオレッタが泣けるのは、彼女の演技力、というものもちろんのことながら、彼女自身がヴェルディの音楽をひたすら愚直なまでにしっかり表現しようとしている、その誠実さも手伝っている気がする。ポプラフスカヤは演技が上手、と言われることに頼りすぎている感じがしないでもないしなー。