「椿姫」〜気がついたらいる〜

最近のオペラ演出は迷走している、と、ガレリア座のY氏が言っていたことがあります。「最大の元凶はね、ビデオだよ」と。最新の舞台が、時をおかずに次々にビデオやDVDになり、全世界に放送される。斬新な演出であるほど、その舞台はすぐ全世界に流れる。演出家が何をやっても、「ああ、TVでこないだ見た演出と同じアイデアだね」と言われかねない。創造性、先進性を重視する欧州のオペラ演出は、新味を求めるがあまりに意味不明な象徴化や読み替えに走ってわけがわからなくなっている。正統派の演出をすると、古臭いといわれるし、何より金がかかる。オペラ演出家はどこに進んでいいか分からなくなっている。

そんな中、ザルツブルグネトレプコとビアゾンがやって話題になった、Willy Decker演出の「椿姫」は、一種奇跡的な舞台だったと思います。シンプルな舞台装置の中で、椿姫の持つ「円環性」という要素を究極にまで突き詰めた舞台は、先進的であると同時に、「椿姫」の本質をえぐりだす革新的な舞台だった。私もTVで放送されたのを断片的に見ただけでしたが、その切れ切れの映像の一つ一つが衝撃的なほどに印象的だったのを覚えています。

正統派・保守的な演出が多いMETが、このザルツブルグ演出の「椿姫」を取り上げた、というのは、この舞台が、ただ先鋭的であるだけでなく、非常に分かりやすく、かつ音楽の本質を邪魔するような過剰な意味性を付け加えていないシンプルな構成のためだったか、と思います。あの舞台を生で見てみたい、と思い、今日行ってきました。

Conductor: Gianandrea Noseda
Violetta: Marina Poplavskaya
Alfredo: Matthew Polenzani
Germont: Andrzej Dobber

という布陣。

実はこのプロダクション、先週、クラシック専門FM局WQOXRでライブ放送をやっていて、見に行かなきゃ、と思い立ったもの。その放送では、ポプラフスカヤさんの声の調子が少し悪かったようで、1幕ラストの大アリアでは少し音を下げたりしていた。なので、実はあまりポプラフスカヤさんの声には期待せず、とにかく演出を見よう、と、舞台全体がよく見える、ドレスサークルの席を選びました。3階の正面席ですね。高校生くらいの女の子たちの一団が連れだって見に来ていて、みんな良家の子女らしく、綺麗なドレスに着飾っていてとても可愛い。そっちを見ているだけでも楽しい。値段も130ドルくらいなので、手頃です。

開場した時から舞台は始まっていて、すでに、医師グランヴィルが上手の方にひっそりと座っていて、石像のように身じろぎもしない。そのわきに、大きな時計があって、開場後の時の流れに合わせてきちんと時間を刻んでいる。そして、開演時間になると、いつのまにか指揮台に指揮者が立っている。指揮者入場の挨拶も拍手もなく、序曲が始まる。

登場人物の衣装が、ヴィオレッタが真っ赤なドレス(または白のスリップ)、その他の登場人物は全員黒、と決まっているので、個別の区別がつきにくい。フローラも黒のスーツ姿なので、どこにいるのか分からない。なので、死神を象徴する医師グランヴィルが、いつのまにか舞台の上にいる。いつのまにか、アンニーナが舞台の端に座っている。いつ現れたのかな、というのが分からず、突然出現するような感じが怖い。

1幕の後の休憩時間に、いつのまにか舞台の上手にヴィオレッタの赤いドレスがハンガーにかかって壁にかけられていたり、「あれ、いつあれがでてきたんだろう」というのが多い。それが演出上の狙いでもあるんだろうね。とにかく流れがスピーディ。1幕のあと、1回休憩をはさんだだけで、田舎のシーン、賭博のシーンから、ヴィオレッタの死の場面までは、幕すら下げずに一気に進んでいく。上演時間は、休憩を入れて2時間30分ほど。とにかくスピーディで、正統派の演出とケレンが好きなMETの観客が少し戸惑っているような感じもありました。

さらに言うと、円環性を追求した構成自体はすごく納得がいくんだけど、ヴィオレッタの意思が強く出ているために、逆に納得がいかなくなる部分が出てくるんだね。1幕でものすごく強烈にアルフレードを拒否しているヴィオレッタが、急に「そはかの人か」を歌いだす必然性。田舎の生活からパリの社交場に戻ったヴィオレッタが、アルフレードを拒絶するようなそぶりを見せながら突然苦悩し始める必然性。冒頭の合唱のシーンとか、ものすごく刺激的で納得感もある場面と、どこか違和感が残る部分が混在する。

さらに怖いなぁ、と思ったのは、一度テレビで見ているために、色んな先進的な仕掛けに対する感動が薄いこと。先が分かってしまっているんですね。先が分かっていても感動してしまう部分もあるのだけど、正統派演出であれば素直に感動できるものが、逆に構成が知的すぎるために、感情よりも頭で理解しようとしてしまって、どこか感情移入しにくい感じがしてしまう。非常に正直にいえば、東京で見たデセイの「椿姫」の方が泣けた気がする。演出家が迷走するわけだよね。それでも、ラストシーンで、真っ白な舞台の上に崩れ落ちるヴィオレッタの孤独な姿にはやっぱり泣かされてしまう。

ポプラフスカヤさんは、声の調子が完ぺきに復調していて、立ち姿の美しさ、演技の見事さも含めて、最高の出来でした。アルフレードのポレンザーニさん、パパジェルモンのドッベールさんも素晴らしい出来。オーケストラの疾走感に対して合唱が密度の濃い声と演技で答えていて、舞台の完成度は非常に高かったです。来月はデセイさんの「ルチア」だよ。ほんとうに毎月通ってます。