以前、フェリーニの「そして船は行く」の感想を書いた時、全編が嘘であることを強調している映画である、という感想を書きました。「私は嘘つきです」といいながら、その嘘がいかに美しく、また人間の真実を突いているか。先週から今週にかけて、2つのドラマを見る機会があって、虚構だからこそ、真実を描ける、という、ドラマの一つの側面を再確認した気分になりました。2つのドラマ、というのは、「ウルトラセブン」と、「101回目のプロポーズ」です。
「ウルトラセブン」は、ファミリー劇場というCSのチャンネルでずっと放送していて、先週、最終回を迎えたのです。「ウルトラセブン」の最終回というのは、我々の世代からするともう伝説的なドラマなんです。今回見直してみても、やっぱり古くない。確かにお芝居的には古臭い大仰なお芝居という部分はあるかもしれない。でも、地球の平和、だの、侵略への怒り、だの、そういう大義名分ではなくて、ただひたすらに、仲間のために命を削るウルトラセブンの姿にはやっぱり感動してしまう。
「ウルトラセブン」というのは、異文化が入り混じり始めた昭和40年代の不安感を背景にしたドラマだと思ってます。都市化が進み、団地などの集合住宅が増えた時代。隣の人が何をしているのか分からない。街中ですれ違った人は宇宙人かもしれない。いつのまにか、自分の住んでいた街が、入れ替わってしまっているかもしれない。日常の中に、全く気付かぬうちに「異物」が混入していて、それが突然、怪獣として出現する不安感。
そんな不安感を裏返しにして、異物=異邦人=宇宙人とでさえも、理解しあえるのだ、友情や愛情を育むことができるのだ、というのが、「ウルトラセブン」というドラマのテーマでした。最終回はそのテーマに真っ向から取り組んで、しかも感動的な物語を作り上げた、という意味で、やっぱり脚本(金城哲夫)の力がすごいなと思います。でも、そういう表のテーマよりも、「ウルトラセブン」全編に流れる不気味な不安感の方が印象が強い。この不安感、というのは、現代にも通じる不安感だと思うのです。日常のすぐ隣の闇の中に、何か得体の知れないものが巣食っている不安感。「宇宙からの侵略」という、全くありえない虚構を設定したからこそ、その不安感を具体的な形であぶりだすことができた。SFというジャンルの「虚構性」ゆえに、普遍的なテーマを掘り下げることができたのが、今見ても新鮮に見える理由じゃないかなぁ。
「101回目のプロポーズ」は、CSのフジテレビ721で全話放送、というのをやっていて、昨夜最終回を迎えました。女房ともども、思わず見ちゃった。私はリアルタイムでは見てなかったんですが、女房はリアルタイムで見ていた口です。二人して、「こういう髪型の女の子ばっかりだったよねー」「みんな眉毛太いんだよねー」なんて言いながら見てました。
そういうバブル真っ只中の時代背景もあるのかもしれませんが、本当に、「そんなバカな」と思うような、リアリズムなんかくそ食らえ、という、ありえないシーンやシークエンスが続出。野島伸司、という脚本家は、リアリズムから遠く離れた設定や、リアルさを放棄したセリフを多用する作家、という印象があって、個人的にはあんまり好きじゃないんです。でも、このドラマが韓国あたりでも大人気で、中国韓国合作でリメイクされた、という話を聞くと、リアリズムを放棄したからこそ、逆に普遍的な恋愛物語として成立しているのかもな、という気もする。
でもやっぱりこの、「リアリティ無視」のドラマに存在感を与えているのは、武田鉄矢さんと浅野温子さんのお芝居の確かさ、という気がするんですよね。武田さんのセリフ回し、語りの見事さ。浅野さんの、美しい中に、ガラスのような繊細さと不安定さを同居させた、「顔の演技」の素晴らしさ。ふざけんなよ、と突っ込みたくなるラストシーンが、名シーンになったのは、武田さんの計算しつくされた語りと、それに応じる浅野さんの、吹っ切れた女の少女のような可愛らしさを表現した「表情の演技」のおかげじゃないか、と思います。
ドラマにおける「リアリズム」と「物語」の共存、というのは、結構難しいテーマなんでしょうね。「物語性」を強調しすぎると、リアリズムからどんどん乖離していって、ドラマ自体に感情移入できなくなる。「リアリズム」を推し進めると、娯楽性が失われてしまう。日常生活の方がドラマよりももっと、物語に満ちていたりしますからねぇ。そうなると、虚構は虚構であることを前面に出しながら、虚構ゆえの真実を追求していくしかないのかもしれない。そんなことを考えました。しかしどうでもいいけど、浅野温子の腰はなんであんなに細いんだ。泣き顔がチェ・ジウにそっくり。逆だね。チェ・ジウの泣き顔が、浅野温子の泣き顔に似てるんだぞ。うん。中国韓国リメイク版はチェ・ジウが浅野温子の役らしいぞ。そんなに安易でいいのか。泣くの得意だからいいんじゃないの。あ、そ。