私のマンガ人生 そのろく〜萩尾 望都〜

ほそぼそ書き継いできた、好きなマンガ家、最後に、萩尾望都さんを取り上げます。

取り上げます、なんて言っておきながら、このマンガ家について語ることが本当にできるのか、かなり心もとないんです。今ふと思ったのだけど、少女マンガ界における萩尾望都竹宮恵子の位置って、日本音楽界における中島みゆき松任谷由美の位置づけになぞらえることができるんじゃないかな、という気がします。中島みゆきの作家性の強さと、松任谷由美のエンターテイメント性の強さが、そのままぴったり重なる気がする。そして、中島みゆきについて語ることが非常に困難であるのと同様に、萩尾望都について語ることもおそろしく難しい。

なぜか、といえば、その多面性、としか言えない。SF・ホラー・ファンタジー・ミュージカルもの・心理もの・推理もの、あらゆるジャンルで佳作・傑作を発表し続けているジャンルの多面性、というのももちろんそう。さらに、作風自体が時期を追って急激に変化する、その変容の度合い。いつの時期の萩尾望都を読むか、によって、印象は全く変わる。常に変化し、常に新鮮でありつつ、常に、萩尾望都である。こんな人について、何か分析しよう、なんてこと自体無理がある。

なので、ここでは、好きだった作品とその感想を並べるだけにしておきましょう。以下、読んだことのない方にはチンプンカンプンの記述が続きますが、何卒ご容赦を。

最初は、以前この日記でも取り上げた、「トーマの心臓」。人が人に惹かれることによってあぶりだされる人の弱さ、強さについて、ここまで突き詰めた作品を他に知りません。「ポーの一族」のロマンティシズム。むせるようなバラの香りの霧の中で立ちすくむような浮揚感。やっぱり最高傑作のひとつでしょうね。初期の作品では、「ジェニファの恋のお相手は?」とか、「花嫁を拾った男」などのミュージカル仕立ての短編も大好きでした。「ジェニファ・・・」は、この日記でも言及したことのある、大学の合唱団の内輪受けミュージカルで脚色上演したことがあるんだよね。ちなみに私は死神の役をやりました。

この方には、日本を舞台にした作品の数が少ない印象があるのですが、初期の「小夜の縫う浴衣」「みつくにの娘」は共に傑作だと思います。「みつくにの娘」のイメージは、後に、「A−A’」のワンシーンにそのまま引き継がれていますね。強烈なイメージでした。

SFマンガの傑作、「11人いる!」は続編も含めて大好きでしたが、この作品が収録された初期作品集に同時収録されている「精霊狩り」のシリーズもいい。ハインラインのストーリ性と、ブラッドベリの幻想性が同居しているような、不思議な爽やかさ。一方で、「アロイス」のようなサイコ・ホラーも書かれていて、これも傑作だった。単行本に同時収録されていた「温室」という短編も、ぞっとさせながらも実に耽美的です。

百億の昼と千億の夜」「スターレッド」あたりから、作品自体は壮大になってきたりしたのですが、少し試行錯誤の時期だったように思います。どれもすごい作品ばっかりなんですけど、あんまり好きにはなれなかった。「半神」「メッシュ」「訪問者」あたりから、この人は一体どこまで行く気なんだろう、とちょっと怖くなりました。人間の心理の奥の奥のところまで、ぎりぎりと突き詰めていくような険しさ、厳しさが出てきて、作品自体も凄みが出てしまって、あんまり好きになれなかったです。

その一方で、「ハーバル・ビューティー」や、「A−A’」のシリーズ、「モザイクラセン」を読んで、ああ、萩尾さんはちゃんとエンターテイメントの世界も忘れてないんだ、とほっとしました。どちらも単純なエンターテイメントではない、十分に練りこまれた傑作なんですけど、それでいて萩尾さんの初期の軽さや、楽しんで作品を描いている感じが戻ってきた感じ。一方で、「銀の三角」なんていう壮大なSF長編を書いちゃうところがすごい。「銀の三角」のクリスタルのような研ぎ澄まされた宇宙観は、思い出すと今でも鳥肌が立つくらいに興奮します。

なんだか、支離滅裂な文章になっちゃいました。すみません。こうやって振り返ってみると、どの作品もほんとにいいなぁ。多少の好き嫌いはあるんだけど、駄作は決してない。「半神」が野田秀樹の舞台になり、「トーマの心臓」が映画や舞台になっていったように、萩尾望都さんの作品には、他の作家を刺激する何かがある気がします。切っ先の鋭い水晶のようなきらめきが、こちらの心理の奥の方にぐさっと突き刺さる。突き刺さるんだけど、痛みも血も流れない。そんな、名刀のような切れ味の鋭さ。

最近の作品をきちんとフォローしていないのが悔しいのですが、相変わらず、精力的に新作を発表し続けてらっしゃるんですね。未読の作品も、機会をつかまえてフォローしていきたいです。