「紅い花」〜つげ義春の叙情〜

自宅のPCが完全に死に絶えてしまいました。立ち上げようとすると、ガガガガガという嫌な音とともに、ハードディスクが完全に止まってしまう。この週末に新しいPCを買って、なんとか12月中には復活したいと思いますが、色々と関係の皆様にはご迷惑をおかけいたします。

さて、今日は、先日も書いた、週末のインプットの中から、佐々木昭一郎演出「紅い花」の感想を。
 
つげ義春、という漫画家は、ある時期の漫画ファンにとって一種のカリスマだったと理解しています。漫画を娯楽から芸術に高めた作家、といわれるし、確かにその通りで、本当にこの人には、「オレにはこういう漫画しか描けないんだ」という諦めというか確信のようなものがある。ガロという不可思議な漫画雑誌に集った漫画家には、そういう「オレにはこれしかない」という諦観というか開き直りのようなものがあって、それが異様な混沌とした魅力になっていた。やまだ紫しかり、蛭子能収しかり、花輪和一しかり・・・

では、「つげ義春さんの作品は好きですか?」と聞かれると、個人的にはちょっと首をかしげちゃうんだよね。確かに、「ねじ式」の持つシュールなグロテスク、「ゲンセンカン主人」の意味の分からない恐怖、インパクトはすごい。すごいんだけど、あんまり共感とか、感動とかは感じない。「こんなことを考える人がいるってのはすごいなぁ」という程度で、自分の無意識にある共通する感情やイメージに強烈に共振してくる感じはしないんだよね。好みの問題なんだろうけど。

ただ、つげさんの作品の中でも、どこかとぼけた田舎のちょっとした出来事、みたいな小品が好きでした。特に、つげさんの描く少女というのが、なんだか日常世界の中にそこだけ非日常の穴がぽっかり空いているような、存在感があるのに生活感のない、生々しいのに夢のような、なんとも儚げな風情を漂わせているのが、大好きだった記憶があります。

ずいぶん前に、日本映画チャンネルが特集していた「佐々木昭一郎」特集の中で、佐々木さんが、つげ義春のいくつかの作品を原作にした「紅い花」というドラマを撮っていたことを初めて知る。これはなんとしても見なければ、とずっとDVDのハードディスクに保存してあったのを、やっと先週末に見ました。期待に違わぬ素晴らしいドラマ。

佐々木さんは、ドキュメンタリーとドラマの中間的な「佐々木作品」としか呼べないような、一種ゴダール的な作品をよく撮ってらっしゃるのですが、時々、「紅い花」のようなスタジオドラマを撮ることがあって、これも本当に素晴らしい。この「紅い花」も、佐々木さんには珍しく、きちんとプロの俳優さんたちを使い、スタジオセットで撮られた台本のあるドラマなんですが、映像のリズム感がまさしく佐々木ドラマ。佐々木ドラマであるにもかかわらず、これが見事に、つげ義春の叙情を映像化していることに驚かされる。

つげ漫画の中には、いくつかものすごく印象的なシーンがあって、さほど読み込んでいない私にも強烈な記憶になって残っているのですが、それが物語の中で時々、極めて鮮烈に挿入される。「沼」で、眠る少女の首を絞めに来る蛇。「ねじ式」の「ポキン、金太郎」、そして極めつけは、「紅い花」で、川面を流れる紅い花。

1970年に、つげさんが「ねじ式」で世間にセンセーショナルに認められてから、6年後に放送された作品ですから、つげ義春のシュールな部分に光を当てたラディカルなドラマに仕上げることも可能だったと思うのです。でもあえてそれをせず、むしろつげ作品の持っている叙情的な側面に光を当てた上で、佐々木さんがこだわり続けた「川」というモチーフを絡めることで、かえって、つげ義春作品の持つ土俗的、日本的な叙情を際立たせることができた作品のように思いました。

キクチサヨコ役の沢井桃子さんは、つげ義春作品の少女がそのまま抜け出てきたような非現実感と存在感。A子の中尾幸世さんといい、佐々木さんは少女を非現実的に描くのが本当に上手だと思う。しかしとにかく、「夢の島少女」を早く見なければ・・・