台風の多い年ですね。この週末には東京近くにも来るみたいですが。被害に遭われた方には本当にお気の毒です。
お気の毒、といいながら、かなり不謹慎なことを書いてしまうと、台風が来る、というのは、個人的には結構わくわくする出来事だったりします。床上浸水とか、切実な被害を受けたことがない人間のお気楽発言ですね。申し訳ありません。
でも、「同好の士」(こういう言い方自体不謹慎!)は、他にもいるようで、大瀧詠一にいたっては、はっぴぃえんど時代に、「台風13号」という歌まで作ってますね。風が強くなり、雨足が激しくなってくると、なんだか気分も高揚してくる。子供の頃には、学校が休校することも多かったし、停電なんかもよくありました。がたがた揺れる雨戸を激しく叩く雨音を聞きながら、ろうそくの火の下で、おにぎりの夕食を食べた記憶があります。ガスも止まるかもしれないし、非常食にもなるから、と、母親がおにぎりを沢山握って大皿に盛っていたんですね。
このわくわく感ってのは、何なのかなぁ、と思うと、やっぱり、「非日常」に対する高揚感なんですね。普段の生活では遭遇しない大風、大雨。それに伴って、普段の街の表情も一変する。「ケ」の日に対する「ハレ」の日。
人間、どこまでも同じような日々が続いていると、じわじわとストレスが溜まっていくものなんじゃないかと思います。生活の都市化、というのは、生活の安定化、つまりは、全ての日々を「ケ」の状態に塗りこめてしまう流れ。毎日がサバイバルのような不安定な日々が続いている人には、「不安」というストレスが溜まりますが、毎日ぬるい日々が続いている人には、「倦怠」というストレスが溜まる。人間はどこまでもないものねだりなんですねぇ。
「ケ」の状態に塗り込めれた都会人が、時折訪れる「ハレ」の状態にわくわくする。事故とか、事件なんかがもたらす、人為的、暴力的な非日常に比べて、台風などの天災は、ただ座してやりすごすしかない、大きな力を感じます。自分の所属する世界が、自然という大いなる力で破壊され、カオスと変じるときに、コスモスを維持している大きな秩序に触れる感覚。それも、台風がもたらしてくれる高揚感の源泉かもしれません。人間存在のちっぽけさを実感する瞬間。
台風が来ても、安心して日常生活が保てて、この「ハレ」の感覚をお気楽に楽しめる。不謹慎だけど、自分はやっぱり恵まれた、幸せな境遇にあるんだなぁ、と改めて思います。そんな環境と、インフラを作ってくれた先人たちに感謝しつつ、台風情報をチェックしてワクワクする毎日。それが不謹慎だっての。すみません。わくわく。