ネット配信花盛りですねぇ

STAY HOME強いられたゴールデンウィーク、我が家も御多分に漏れず、自宅でほとんど過ごしておりました。毎年この時期はラ・フォル・ジュルネとくらやみ祭で過ごしてたんですけどね。昨年から続くこの失われた時間が、将来の自分たち、とりわけ若い人たちにどんな影響を与えることになるのか、現時点では何も予想することはできないのが怖いんだよね。身近な方をコロナで失っていない我々みたいな一般人からすると、震災みたいに今まであった物理的に目に見えるものが破壊される災厄と違って、目に見えないものが時間とともに失われていく感覚がホラーっぽくって怖い。なにかしらかけがえのないものが失われてしまったことに時間が経ってから気づいて、もう取り返しがつかなくなってしまわないかって。

一方で私の関わっている舞台表現の世界では、コロナのおかげで、すっかりネット配信が一つの表現手段として定着しましたね。ゴールデンウィーク中も、友人が出演したミュージカルのライブ配信と、女房が出演したオペラ演奏会のライブ配信を鑑賞。

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女房出演のオペラ演奏会のスクショ。

ご覧の通り、このオペラ演奏会もそうでしたし、友人が出たミュージカル舞台もそうだったんですけど、定点カメラでの動画配信。なので、基本的にはライブを補完する手段として位置づけられている感覚が強いのだけど、こういう配信ライブ、コロナ後もどんどん活用されていくんだろうな、と思いますよね。場所に制限されないから、東京を中心として活動している音楽家のライブを地方の人が楽しむことができるツールとして有効だし、アーカイブ機能を活用すれば、その日時に都合がつかない人に表現を届けるツールとしても有効。テレビのライブ放送みたいに気軽に使える所もよい。ネットは時間と空間を飛び越える手段なんだなぁと改めて実感。

私なんかは全然旧世代なので、こういう配信サービスには全然疎かったんだけど、最近、TikTokだのInstagramだのYouTubeライブだの今まで触れたことのない色んなSNSライブ配信にやたらに触れるようになりました。コロナのせい、ということじゃなくて、さくら学院推しになったおかげで、さくら学院の卒業生の方々や関係者のアーティストが色んな発信を続けているSNSに片っ端から加入して、彼らが時々発信しているライブ配信を見まくってるせいなんだよね。うーん、理由を口にするのが非常に恥ずかしい。

でもそういう若い世代の表現者ライブ配信見てると、チャット機能や視聴者からのコメント、投げ銭機能をうまく使いながら、一期一会のライブ感を楽しめる工夫が一杯あって面白いんだよなぁ。多分彼らのような世代は、ニコニコ動画やYouTuberの配信ライブをずっと以前から経験しているから、そういう機能を使いこなすセンスが備わっているんだろうね。インスタライブ中に投稿したチャットを拾ってもらえた時の一体感とか、生のライブでは決して味わえない興奮だったりしますし、ネットライブ配信ならではの楽しみだなぁって思います。こういう工夫を取り入れるのはなかなかクラシック演奏のライブでは難しいかもなぁ。でも例えば、オペラのライブ配信なんかで、休憩時間中に出演者とチャットでおしゃべりする、なんていう企画があっても面白いよね。METの幕間のインタビューを双方向にしたみたいな感じ。クラシックの演奏会でも、チャットでリクエスト募集して、第二部ではその歌歌います、とか、投票機能使ってプログラムを決めていく、とか、視聴者参加型のライブ配信とか面白いかもしれない。

アイドルさん達のライブ配信でのチャットやコメントなんか見ていると、そこにすごく濃密なコミュニティが生まれている感覚があるんだよね。常連さんがメンバーに名前を覚えてもらっていたり、チャットを拾ってもらったファンを他の視聴者が祝福したり。そういうコミュニティの一体感みたいなものも、ライブ配信特有の楽しみだったりする。でも、この濃密さが逆に、ネットならではの煩わしさとか怖さ、みたいなことにつながることもあって、匿名性が高い分炎上しやすいのがこういうコミュニティのリスク。ライブ配信なんかでも、かなりコミュ障っぽい視聴者のしつこいコメントに配信者が困ってしまう、なんていう場面を目撃したこともある。ネット配信ではどうしても配信者のプライベートが漏れ出してしまうし、SNSで傷つくアイドルさんは後を絶たない。ネット配信は発信者と受信者のプライベート空間をダイレクトに結んでしまうから、それゆえのメリットや一体感もあるけれど、マイナス要因ももちろんある。コロナに後押しされた形で急成長した表現手段ですけど、デメリットをうまく吸収したり制御しながら、表現の幅を広げてくれるツールとして成熟していくといいんだけど。