ニッセイオペラ「ヘンゼルとグレーテル」~音楽の意図を真っ直ぐ受け止めること~

6月16日の父の日、「父の日サービスだよ」と、女房が誘ってくれたのが、日生劇場で上演していたニッセイオペラ「ヘンゼルとグレーテル」。女房が以前、せんがわ劇場での「天国と地獄」で共演した小林大祐さんが出演されている、ということで、チケットを確保してくださったのだそうです。とにかく大好きなオペラなので、勇んで出かける。とりあえず、メインキャストだけご紹介しておきますと、

ヘンゼル:山下 裕賀
グレーテル:鵜木 絵里
父:小林 大祐
母:八木 寿子
魔女:伊藤 達人
眠りの精・露の精:照屋 篤紀

という布陣でした。

今回の演出舞台については、Youtubeにダイジェスト映像がアップされているので、雰囲気を知ることができます。

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演出意図などについては、まだ地方公演が残っているようなので、あまり詳しくここでは書きませんが、大人と子供を全く別の生き物のようにくっきりと区別して描きながら、大人の世界が滅びゆく運命にある中で、子供の目にしか見えない様々な森の異形の生き物たちに導かれ、子供たち自身が、明るい未来の世界を自分たちの力で切り拓いていく、という、希望と夢に溢れた舞台でした。

この「ヘンゼルとグレーテル」は、ニューヨークに赴任していた頃、METの舞台でも見ているのですが、このMETの舞台は、この物語が避けがたく持っている「カニバリズム」の部分に焦点を当てて、世界を覆う富の偏在と、人が人を食う貧困の悲惨を、若干スプラッタ的に描いた舞台で、正直言って、あまり子供に見せたい舞台じゃなかった。でもね、このオペラに関して言えば、「子供に見せたいか」っていうのって結構キモだと思うんですよ。そもそもフンパーディンクは、このオペラの元になる曲を、妹さんの子供たちが歌う歌芝居の曲として書いたのですから、音楽そのものが、子供たちに何を伝えたいか、という観点で書かれている。そこをずらして大人のメッセージを加えてしまうと、音楽の意図からはずれてしまうんじゃないか、と思うんです。

オペラにおける演出の役割、という、いつもの議論なわけですけど、そういう意味では、広崎うらんさんの演出は、このオペラを見る子供たちに何を伝えようか、という、作曲家の意図をまっすぐ受け止めた上で、今の子供たちに伝えたい現代的なメッセージを付け加えた、とてもいい演出だったと思います。日生劇場らしく舞台装置も素晴らしく、生き物のようなお菓子の家も、ダンサーたちのファンタジックな衣装も最高でした。

音楽的には非常に難しいオペラで、分厚いオーケストラが歌い手の前に壁のように立ちはだかるんですよね。そのオーケストラを、あくまで流麗に、歌い手に寄り添った自然な演奏に仕上げていたのが、まだ芸大の学生さんだった頃に少しだけお世話になったことのある角田 鋼亮さん。本当に立派になられましたねぇ。チケットを手配してくださった小林大祐さんの、大きな身体なのに軽やかでコミカルな演技と確かな歌唱もとっても素敵でした。

小林さん以外のソリストの皆さんも本当に素晴らしかったのですが、やっぱりなんといっても魔女の伊藤達人さんのぶっ飛びぶりが凄かったですね。この魔女が、怖い中にどこかでキュートさがないと、本当にグロテスクなお話になってしまうのだけど、そういう意味では、振り切った衣装と演技、そして実は高度な歌唱テクニックで、素晴らしい見せ場を作っていました。

眠りの精の撒く眠り砂で子供たちが眠りに落ち、14人の天使たちを夢に見るシーンでは、兄妹の二重唱でいつも胸が熱くなってしまう。そこにさらに畳みかけるように、天使たちの登場の素晴らしい演出と閉幕直前のサプライズ演出で、完全に涙腺ダム大決壊。号泣していたら隣の席の女房もぼろぼろ泣いておりました。果てしない多幸感。

子供に向かって書かれたオペラだけど、音楽的にものすごくしっかり作ってある、という点において、このオペラは、「子供だまし」なのではなく、本気で作り上げねばならない「子供向け」オペラなのだ、という意識を持って、子供たちに、次の世代に、何を伝えねばならないのか、という真摯な姿勢で臨まないといけないオペラだと思うんです。客席を埋めた子供たちは、魔女のド派手なステージングにゲラゲラ笑いながら、でも何かしらしっかり受け止めたものがあったと思います。出演者の皆さん、スタッフの皆さん、チケットを手配してくださった小林さん、本当に素敵な舞台と時間をありがとうございました。