ちょっと間が空いてしまったんですが、一週間前、12月23日のクリスマス・イブ・イブに、女房が出演した演奏会の感想文です。
アリアになったビートルズ
柴田智子(ソプラノ)
浅川荘子(ソプラノ)
大津佐知子(ソプラノ)
富永美樹(ソプラノ)
中村裕美(メゾ・ソプラノ)
内門卓也(ピアノ)
という布陣でした。
ビートルズっていうのは、今の若い世代の人たちからするとどんな音楽なんだろうな、と思う時があります。日常生活の中にポップスがすっかり浸透している今の若者たちからすれば、ビートルズというのは、教科書にも掲載されているポップス音楽のスタンダードで、ある意味、クラシック音楽なんかと同列に感じられるのかもしれないですよね。
でも、60年代生まれの僕らにとっては、ビートルズはまさに「入り口」でした。つまり、ビートルズで洋楽を知る、という経験を持っている世代。日常生活を満たしている音楽は歌謡曲や演歌で、そこに親から、「これは聞いてもいいよ」と言われて初めて聞く洋楽が「ビートルズ」でした。そういう世代にとってのビートルズは、洋楽そのものであり、ポップスそのもの。ビートルズからスタートして、プレスリーに行ったり、ビーチボーイズに行ったり、あるいはツェッペリンに行ったり、ローリングストーンズに行ったり、イエスやELPに行ったり、そこからの道は多岐に分かれていくのだけど、まず入り口は、「ビートルズ」。
そういう刷り込まれ方をした我々の世代でよく聞く2つのセリフがあって、一つは、「今のポップ音楽がやっていることの大半は、ビートルズがもうやっている」というセリフと、「色んなアレンジやカヴァーがあるけど、結局オリジナルを超えるビートルズはない」というセリフ。ともにビートルズを神格化する言葉ではあるんだけど、全く間違っているとも言い難いくらいに、我々世代におけるビートルズのポジションっていうのは特別なんだと思う。
でも、そんな僕らもいい加減いい年になってきたし、そもそもビートルズのメンバーも半分は天国に行っちゃった。ポップス音楽の中でビートルズが占める位置も、ひたすら神格化するのではなく、そこまでのアメリカ音楽・イギリス音楽の影響と流行の中で、相対的に彼らを位置付けて見ることができるようになってきた。ビートルズを絶対化するのではなくて、もう少し引いた目線で彼らの楽曲を見るようになった今の年齢で、そのビートルズをオペラアリア風にしてみる、という今回のアプローチを聞いた時に、「それ面白いかも」と単純に思いました。
逆の言い方をすれば、柴田智子さんが20年前に、「Let It Be」というアルバムで、オペラアリア風にアレンジしたビートルズの楽曲を発表した時には、まだそれを受け入れる状態にはなかったかもしれません。単純に、「やっぱりオリジナルを超えるアレンジはないね」という切り捨てで終わっていたかもしれない。でも、年齢を重ねて、ビートルズに対する知識、楽曲の成立過程やポールやジョンの生き様、さらに、音楽の背景にあるヨーロッパやアメリカの街角の佇まいを見聞きした自分の知識などが、曲の持っている本質的なメッセージや、描き出す情景のリアリティを深めている今になって、オペラアリアとして歌われるビートルズの楽曲たちを聞くと、突然見えてくるものがあったりする。「そうか、Yesterdayって、こんな曲だったのか」とか、「Here, There, and Everywhereって、こんな曲だったんだ」とか。
オペラアリアとして歌われるビートルズの楽曲は、「編曲」というよりも、ビートルズのメロディと歌詞をモチーフにした変奏曲としてとらえた方が自然だったりします。ヘンデル風に歌われる「A Hard Days Night」やモーツァルト風のレチタティーボから始まる「Ticket to Ride」などはそういう傾向を強く感じました。でも逆にそうやって歌われることで、「Ticket to Ride」の持つドラマ性とか、ビートルズの持つイギリス音楽の伝統とかが強烈に意識されたりする。「そうか、そうだったのか」という発見。
これを20年前にやった、という柴田先生とこの編曲者の先見性・先鋭性には脱帽。歌い手のみなさんも、単にアレンジの超絶技巧の部分をなぞろうとするのではなくて、もっと歌の持つ本質的な部分に触れようとしている真摯な姿勢が見えて素敵でした。でもそれって、やっぱりビートルズの原曲の持っている力なのかもしれないんだけどね。みんなが知っている曲をこうアレンジして歌うことの意味は何だろう、と問い続けざるを得ない。そういう意味でも、変な言い方だけど、普通のオペラアリアを歌うよりも、一つ一つの楽曲に対する分析の深度が深かったのかも、と思ったりします。
どうしても贔屓目になってしまうのだけど、女房が歌った「Yesterday」「Here There, and Everywhere」「Eleanor Rigby」は心に沁みるものがあった。演奏会の最後には、ポールが作曲した「リバプール・オラトリオ」から2曲が歌われたのですが、最後に女房が歌った「Do we Live in a World」で、「子供たちを救うために、そう、答えはYesよ」と歌われた時には、勝手にぼろぼろ涙が出てきて困りました。ポール・マッカートニーって、本当にいい曲しか書けない人なんだよね。ポールが生まれてなかったら、今の世の中、かなり楽しみが減ってたんじゃないかな、なんて思うことがある。
会場になった自由が丘オペラハウスは、柴田さんの個人サロン、とのことですが、アットホームな感じと、演奏会という「ハレ」の雰囲気が見事に融和していて素晴らしい空間でした。「マダムニカコ」のケーキもおいしく、クリスマス・イブ・イブの祝祭的な雰囲気を和やかに楽しむことができました。共演者の皆様、そしてなにより、この空間・時間をプロデュースされた柴田智子さんに感謝です。本当に素敵なクリスマスプレゼントをありがとうございました。今年はたぶんこれが最後の投稿になります。皆様、よいお年をお迎えください。