歌が物語を綴る時~遠坂めぐさんの楽曲を中心に~

今日も、遠坂めぐさんを中心とした自分の推しの話題なので、遠坂めぐさんやさくら学院、BABYMETALに興味のない人は理解できない文章も結構出てくるかもしれないですけど、なるべく芸術に普遍的な話につなげていければ、と思っています。絶対とりとめなくなると思いますので、まぁ適当に読み飛ばしてやってください。

大きな話から言うと、芸術はその作品自体に感動するのか、それとも、それを創造した人や演者の人生と結び付けた「物語」に感動するのか、みたいな話です。ちょっと大きく出過ぎたな。すみません、もう少しお付き合いくださいね。

例えば分かりやすい話で言えば、太宰治の文学作品っていうのは彼自身の破滅的な人生と切り離しては正しく評価できないし、彼自身の人生が透けて見えるからこそ感動する、という話は常に言われることじゃないかな、と思う。「故郷は遠くにありて思うもの」という詩を、都会に立った詩人の孤独、と解釈するか、故郷に帰ってむしろ募ってしまった疎外感、と解釈するかで、解釈も感動も全然変わってしまうけど、これも作品からどんな「物語」を読み手が想像するか、という話でもありますよね。

もちろん、アートはアートとして先入観なしに虚心坦懐に見るべきだ、という人もいるとは思います。でも特に西洋絵画とかは、絵画の中に込められたいろんな象徴や記号を読み解く楽しみ、というのもあるので、真っ白な心で作品に向き合うことが却って作品に込められたメッセージを見逃すことにつながってしまったりする。つまり、作品から読み手自身がどんな物語を綴るか、ということ、あるいはその作品には直接描かれていないけれど大きな影響を与えている「物語」と結び付けて作品を鑑賞することで、より感動が深まる、というアートの楽しみ方もあるよね、という話。

なんでこんなことをつらつら書いているか、というと、さくら学院の卒業生の山出愛子さんに楽曲提供した縁でどっぷりハマってしまった遠坂めぐさんのクリスマスライブに先日行って、なんだってこの人の曲がこんなに好きになったのかなぁって考えたから。そう思って改めて聞いてみれば、遠坂さんの楽曲って、ものすごく「物語性」の高い楽曲が多くて、自分もそこにハマったんだなぁ、と。

遠坂めぐさんの楽曲には、かなり私小説的に作曲家自身の思いを歌ったものもあるし、ある程度想像で書かれた短編小説風の作品もあるのだけど、共通しているのはこの「物語性」。歌に登場するカップルのささやかな幸福を祈らずにはいられなくなる「皮付きフライドポテト」「うすしお」「暮らし」。曲ができない苦悩を若干自虐的に描いた「新曲」、TikTokでバズった自分を鼓舞するような「インスタントオリジナリティ」など、どれもそれぞれにドラマを感じる楽曲で、歌で物語を語る、という意味では、さだまさしさんに共通する才能を持ったシンガーソングライターだなぁって思います。

その中でも遠坂さんご自身が自分のターニングポイントとなった作品として語っている「月にありがとう」という曲は、何度聞いても涙なしには聞けない名曲。でも、この曲の歌詞を一読しても、そこに歌われている「月」という象徴が何を意味しているのか、一瞬分からないんだよね。

 

「どうして月って、どこに行ってもついてくるの?」なんて独り言だよ

「どんなに暗くたって帰れるように照らしてるんじゃない?」答えてくれたね

「だけどね、それって鬱陶しい気もするよね」

そういうと君は少しうつむいて黙り込んだ。

 

こんな会話を主人公と交わした人の不在と、今も自分を支えてくれているその人に対する感謝の思いを歌うこの楽曲が、遠坂さんの早逝したお父様の思い出を歌った楽曲、と説明されて初めて、一気にこの楽曲の持つ意味や物語の深みが変わってくる。

 

果てしない闇でもいつか晴れる日が来るのかな

なぜだろう雲間で、月がやけに輝いている

「大丈夫だよ」なんて笑っているみたい

 

先日のクリスマスライブでも、ピアノとバイオリンで歌われたこの曲に本当に感動したのだけど、その同じ文脈の中で、先日遠坂さんがMVで発表した「365日サンタクロース」を、遠坂さんのお父様への思いを歌った曲、と解釈しているブログがあって、なるほどなぁ、と思ったんですよね。「365日サンタクロース」は、遠坂さんがさくら学院の卒業生の山出愛子さんに提供した曲で、山出さんを日々支えてくれているお母さまへの感謝の思いを歌った曲、というのが自分の中での解釈だったのだけど、日々自分の生活を支えてくれている誰かに対する感謝を歌った普遍的な曲、と思って聞いた方が感動も深まる気がする。それって結局、「月にありがとう」という曲の、遠坂さんとお父様の間の絆の物語、という極私的な物語が、身近にいてくれた、今はもういない大切な人への思いを歌った普遍的な物語として昇華されて、それが「365日サンタクロース」という楽曲の感動にまで影響を与えているってことなんだなぁって。

そんなことを考えながら、自分の推しのさくら学院やBABYMETALの楽曲を改めて聞いていると、曲から想起される感情の高ぶりって、歌自身の持っているメッセージだけじゃなく、その歌が歌われた時のさくら学院やBABYMETALの置かれた状況、彼女たち自身の戦いの日々、仲間たちとの絆、といった、楽曲を巡る「物語」から生み出されている側面が大きいなぁ、なんて思ったりする。実際、さくら学院の「See You」なんて、2018年度の卒業式で銀テの雨の中で号泣している新谷ゆづみさんの姿思い出して何度聞いても泣けてくる。以前このブログに書いたみたいに、「Carry On」という楽曲が「麻希のいる世界」の物語と共鳴してしまった経験とか、楽曲が綴る物語と他の物語が自分の中で感動の多層化を生み出すこともある。

音楽って、本質的にはそれ自体で物語を語るものではないのかもしれないけど、いわゆる「随伴音楽」というジャンルがあるように、物語やドラマに寄り添うことで感動を倍増させる効果を持っている。それが逆に、音楽によって極私的な物語が想起されて感情を揺り動かす、という効果にもつながるんだろうな。村上春樹の「ノルウェイの森」なんてまさにそういうお話だったし。

自分が音楽の持つ、「物語」を想起させる力に惹かれてしまうのって、自分の音楽のメインフィールドがオペラであることとは切り離せないんだろうなって思います。歌で物語を語るオペラ、あるいはミュージカル、というのが自分にとって慣れ親しんだ音楽の世界だから、逆に、歌が語る物語の力に感情揺さぶられることが多いんだろうなぁ。

さらに言えば、この、「音楽」と「物語」を、体験=コト、という形でつなぐ最適な装置が、ライブ、なんだよなぁ。BABYMETALの楽曲のエモさの源泉は、その楽曲が披露された一つ一つのライブの空気感や自分のその時の感情の高ぶりを思い出させるから、というのが大きいと思うし、さくら学院は、「メンバーの成長物語」という一年間のドキュメンタリーをライブで見せる、というとんでもないコンセプトのもと、その成長物語の記録を定着させる道具として、楽曲とステージがあったようなグループだったんですよね。

やっぱり予想通り、なんだかとりとめのない文章になってしまったけど、音楽の持つ、物語を想起させる力、という側面は、掘り下げるともっといろんなネタになりそうな気がします。またいつか、別の側面から分析してみようかと思います。そして何より、こんなに心を揺さぶる数々の物語を届けてくれる遠坂めぐさんや、閉校後も終わらないさくらSAGAの物語を綴り続けているさくら学院の子達には、本当に感謝しかないです。