浅草オペラ100年記念「ああ夢の街 浅草!」初日〜舞台は舞台だけで作るものじゃないんだよねぇ〜

最近自主企画で続けているサロンコンサートのシリーズは、25人という小さなキャパの会場で、お客様の目の前でオペラの名曲を歌う、というガラコンサートのシリーズ。小さなハコでの演奏の醍醐味は、やっぱりお客様の体温とか表情が、そのまま手に取るように感じ取れる距離の近さ。もちろん、それって結構怖いことで、自分が必死になってパフォーマンスしていても、そのクオリティが低いと、どんどん客席が冷え込んでいくのが手に取るように分かるんだよね。それで焦る。さらにパフォーマンスのクオリティが下がる。さらにお客様が遠のく。これが逆に好循環に回ってくると、お客様もノリノリ、それに煽られてこちらも思ってもいなかったパワーが加わって、二度とできないようなハイクオリティのパフォーマンスができたりする。舞台パフォーマンスというのは、舞台の上だけで完結するものじゃない。客席とパフォーマーが一緒になって作り上げるのが、舞台。それが本質。

でも多分、そんなことを改まって言わなくても、江戸の昔から続く歌舞伎や寄席といった大衆芸能では、客席と舞台が一体となって場を作る、というのは当たり前のことだったんですよね。もともと大衆芸能自体、大道芸や宴会芸、お座敷芸、といった、演者自身がお客様のいらっしゃる場所に乗り込んでいくパフォーマンスが出発点。そもそも舞台の奥にあった能舞台の橋掛かりを、客席の真ん中を突っ切る花道に変えてしまった歌舞伎のパワーからして、舞台はお客様と一緒に作るもの、役者はお客様に育てていただくもの、という感覚が、日本の伝統芸能にはしっかり根付いていたはず。

でも、明治維新以降、欧米からもたらされたクラシック音楽の世界では、舞台から届けられる「ありがたいもの」を、一段低くなった客席に座って、かしこまって拝聴する、という、舞台と客席の間の上下関係みたいなものが明確に存在している。客席が主体性を持ってその舞台をコントロールする、なんてことはほとんどなくて、発信される音楽をただ受け身に聞くだけ。その壁を突破するパワーのある一級のパフォーマンスも勿論沢山あるんだけど、舞台上で行われているパフォーマンスが舞台の上に閉じてしまっていて、客席に対して何一つ飛んでこない演奏ってのも沢山ある。一生懸命身を乗り出さないと何を伝えたいのか分からない演奏で、この人は一体何のために音楽を演奏しているんだろう、客席との間でコミュニケーションを成り立たせることができない演奏って、何の意味があるんだろう、と大変不思議に思うことも、残念ながら結構あります。

浅草オペラ、というのは、オペレッタに関わり始めたガレリア座の初期公演の頃からすごく気になる存在で、オペラ、という「ありがたいもの」が、「浅草」という言葉とくっついた途端に、「なんともエキゾチックであり、奇妙であり、不思議な雰囲気を醸し出す」(「浅草オペラ100年の回想」より)。そういうカオスな時代の空気って、どんなだったんだろう、と想像するだけでワクワクしていたのだけど、舞台と客席がまさに混然と一体化したその空気感を、本当に浅草の地で、それも浅草演芸の聖地ともいえる浅草六区のど真ん中の東洋館で、ライブで味わうことができるとは、なんという稀有な、まさに空前絶後の体験でございましょう(活弁士風に)。女房の所属する東京室内歌劇場が総力を挙げて取り組んだ、21回公演というロングラン公演、浅草オペラ100年記念、「歌と活弁士で誘う、ああ夢の街 浅草!」。昨日10月4日の初日公演に行ってきて、もう頭のなかはすっかり大正デカダンスです。モボが山高シャッポでカフェーの女給さんとしっぽりある晴れた日に近衛文麿が振ると面食らって違うだろハゲーとカルメン隅田川にポチャンですよ。もう何を言っているのかわけが分からない。もう少しまともなレビューに戻さねば。果たして戻るかしらん。いやはや。
 

公演パンフレット。浅草オペラの歴史から関連人物録まで網羅した資料集になっていて、これで500円は安すぎる!既に読み込みすぎて表紙が浮いております。ということで、まずはいつものように、出演者の布陣から。
 

麻生八咫(活弁士)
 
内田もと海(ソプラノ)
大津佐知子(ソプラノ)
関定子(ソプラノ)
太刀川悦代(ソプラノ)
新居佐和子(ソプラノ)
橋本美香(ソプラノ)
栗田真帆(メゾソプラノ
斎藤忠生(テノール
島田道生(テノール
西義一(バリトン
 
演奏
ピアノ:山田武彦
ヴァイオリン:Rala(心奏)
クラリネット:村上あづみ
アコーディオン:浦松優子
 
ステージマネージャ:田代雄一郎
 
という面子でした。
 
まず何よりも、活弁士の麻生さんが素晴らしかった。段取りをしっかり仕切っている、伝えるべき情報は全て伝えているのに、段取り感は全くなく、まさに客席のテンションを舞台の上にぐいっと引き上げるパワー。舞台上の演者が客席に降りてくる演出、なんてのはよくある話だけどさ。パフォーマーのパワーで、客席のテンションが舞台上にまで持ち上がってしまうってのは本当にすごい。それを一人でやってのける話芸の力。

また、初日、ということもあって、客席に集ったお客様が、いつものクラシック声楽ファン、という客層よりも、浅草演芸場に集まる大衆演芸ファンの客層にシフトしていた感じなんですよね。実際、私が入場しようとした入り口で、東洋館の支配人と思われるお洒落な紳士に、通りがかりの上品なオバサマが、「あら、今日は何をやってるの?あら、オペラ?へぇ、面白そうねぇ。今日は私、お昼はあちらでxxさんの舞台観てきたの。じゃ、明日ね」なんて話しかけている。ちょっと時間つぶしに演芸場に立ち寄る、というのが生活に根付いている地域なんですね。そういう会場に集ったお客様だから、活弁士さんが「さあ!」と誘えば、すぐさま「あいよ!」と答える、その当意即妙のノリのよさ。

ポッカポカに温まった客席の熱気をそのまま引き受けて、舞台上のパフォーマーたちも負けず劣らずの熱演で答えておりました。斎藤忠生さんをはじめとした、ベテランの芸達者ぞろい、客席の温度感をさらに高めるのはお手のもの。金色夜叉、カチューシャの唄、ゴンドラの唄、恋はやさし野辺の花、ベアトリ姉ちゃん、洒落男など、浅草オペラを彩った数々の名曲たちが、オペラの枠を軽々と飛び越えるクロスオーヴァーな歌唱術で客席をどんどん盛り上げる。浅草オペラの不可思議な魅力を伝える「おてくさんの歌」を、キュートさと小悪魔っぽさを合わせて表現できる橋本美香さんと、色モノなのに正統な歌唱がぶれない島田道生さんのコンビで生で聞けたのは、最大の収穫の一つでした。

しかしなんといってもすごかったのが、関定子さん。自分が舞台でどんな所作をしたら、お客様がどんな反応をするか、完ぺきに分かっている。袖幕からちょっと顔を出しただけで客席がドっと受けるソプラノ歌手なんて初めて見た。ちょっと頬を赤らめております、みたいな仕草でまたドッカン、金のスパンコールぎらんぎらん衣装で出てきてまたドッカン。そして会場全体が鳴動するような声量とどこまでも耳に心地よいベルカント。実年齢をうかがって驚愕。一体どうなっているのだろう。

そういう、実に混沌とした大衆芸能の中に、突然はっとするような芸術性の高いパフォーマンスが立ち現れる瞬間があって、さっきまでげらげら笑ったり、ワイワイと舞台をはやし立てていた客席が、一瞬全身を目と耳にして、舞台上に食い入るように見入る時間がある。きっと100年前の浅草でも、カオスの中から突然白鳥が飛び立ったような、強烈な印象を残した歌い手たちがいたんだろうな、と思う。かなり身内びいきが入っているかもしれないけど、そんな時間を最初にはっきりと作り上げることができたのが、大津佐知子の歌った「ある晴れた日に」でした。堀内敬三の美しい日本語訳詞が輪郭深く伝わってくると、突然その瞬間、海の見える高台に佇む蝶々さんの姿がすっと舞台に立ちあがって、客席の空気の密度がぐっと濃厚になった感覚がありました。ラストのハイトーンが終わるのを待たずに万雷の拍手。結局、いい音楽というのは、クラシックに詳しい人だろうが全然知らない人だろうが、万人の心に響くんです。

もう一回、そういう瞬間が立ち現れたのが、浅草オペラ風に構成された「カルメン」のラスト。ハバネラや闘牛士の歌といった定番曲の間に、煙草のめのめ、だの、酒場の唄、といった謎の小唄が挟まった浅草版のごった煮カルメン。そのクライマックス、橋本美香さんがまっすぐに歌った、恋の鳥〜花園の恋。少し演歌の節回しを加えながら、橋本さんの安定感のある歌唱でこの曲が歌われると、やはり客席が静まり返り、ぐっと濃密な空気の中で、息を殺して歌に聞き入っている感覚がありました。

個人的に少し違和感があったのは、ラストに歌われたビートたけしの「浅草キッド」で、むしろ浅草オペラ全盛期の華やかなフィナーレで終えた方が後味がよかったんじゃないかなぁ、とも思った。もちろん、現代の浅草にお客様を引き戻す、という意味でも、浅草の英雄であるビートたけしに敬意を表する、という意味でも、意味のあるフィナーレだったんだろうけどね。お客様には大受けだったし。個人的にビートたけしという文化人があまり好きになれない、ということもあるのかもしれないけど。

お客様のノリに乗せられて時には暴走しそうになる歌い手たちのギリギリのパフォーマンスを最後までがっちり支え続けた山田武彦さんの自在なピアノにも感動。あまりに楽しかったので、女房が出る25日の舞台以外に、大好きな植木稚花さんが「おてくさん」と「月光値千金」を歌う20日の舞台のチケットも確保してしまった。全部で三日、浅草に通うことに。でも、こういうロングラン公演で、ひいきの歌い手さんが出る公演日を確認して、チケットを確保したり、毎日通ったりしたのが、当時のペラゴロだったんだよね。出演者の皆様、お疲れさまでした。長い公演、やっとスタート地点に立ったばかりですが、21日間、お身体に気を付けて、最後までこの勢いで駆け抜けてください!素晴らしいパフォーマンスをありがとうございました!・・・とは、ひょっとしたら客席のお客様にも言わないといけない言葉かもね。あの場にいた皆さんに、素晴らしい時間と空間を、ありがとうございました!