あけましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。2016年もだらだらと、よしなしごと書き連ねてまいりたいと思います。何卒お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

年頭には、昨年一年間を振り返る、というのがこの日記の定例なんですが、昨年、2015年にはどんなこと書いてたかな、と思って見直してみると、

「2014年は、自分のやりたいことと、それを定期的に発表できる場がうまく噛みあってきた」

なんてことを書いてました。歌の研鑽の場としてのサロンコンサート、舞台演出や舞台構成をお手伝いしている麗鳴、朗読芝居を続けているGAG、と、自分のやりたいことを実現していく場が整い始めた、といったこと。

そういう意味で言うと、2015年は、逆に、自分のできることの限界、ということを改めて思い知らされた一年だったような気もします。発表の場はそれなりに充実していました。2月には自分が舞台演出をお手伝いした合唱団麗鳴の演奏会と、川村敬一先生の「冬の旅」演奏会でナレーション舞台。5月は麗鳴が日野原重明先生のイベントにゲスト出演。7月はサロンコンサートで娘と共演。12月は自分にとって限界への挑戦になった「悪魔のロベール」。たくさんの本番舞台を経験させていただきました。そのプロセスでは、今までできなかった表現ができるようになったり、どうしても突破できなかった壁を超えることができたり、確実な前進もありました。でもその一方で、自分ができること、これから実現できることの限界、というものも、改めてよく見えるようになった、という気もしています。

一番分かりやすい「限界」というのは、やはり、自分の年齢のこと。2015年は、身内が健康を損ねたり、親戚に不幸があったり、あるいは同年代の友人が急に体調を崩したり、といったことが結構頻発しました。少し前までは、自分が会社を定年になってから、舞台活動含めた色んな趣味の活動を本格的に展開していきたいなぁ、なんて思っていたのだけど、そこまで待っていていいんだろうか、という疑問が頭の隅に湧いてきた。今の自分ができること、今の自分の肉体能力を前提として「やりたい」と思っていることが、60歳を超えても本当にできるかどうか分からないよなぁ、と。「健康寿命」という言葉があるそうで、色んなやりたいことが思い通りにやれるだけの健康を維持できる限界年齢、というような意味だそうです。まさに自分の「健康寿命」について考えるようになった一年でした。

死に際に、「自分がやりたいと思っていたことは、概ねやり切った、もう悔いはない」と思える人生。もっと若いうちにやっておけばよかった、と後悔しないようにするためには、定年後の楽しみ、と夢を先送りにするんじゃなくて、今しかできないことはなんだろう、と常に考えながら、そこに集中していく必要がある気がしています。明日できることは今日無理してしなくてもいいけど、今日しかできないことを明日以降に延ばしてしまっていないか?思い切ってやらないと、二度と機会を失ってしまうことにならないか?

そう考えるようになると、今の年齢のうちにやりたいこと、今しかできないこと、というのを実現するための場とか機会を、もっと貪欲に選び取っていく必要がある気がしています。具体的にどうする気なの、というと、まだまだ自分の中で整理しきれていないのだけど、2016年は、そんな自分の限界見据えながら、今しかできないこと、をしっかり考えて、それを実現するための方策や場を、諦めたり先送りにしたりせずに、積極的に模索していければ、と思っています。

2015年は、家族にとっても活動の場がぐっと拡大した年で、女房も、お世話になっている東京室内歌劇場や東京シティオペラで、様々な場を与えていただくことができましたし、娘は、まさに自ら飛び込んだ調布フィルという場で、ベルリオーズ幻想交響曲に挑戦。それぞれに、今しかできないこと、を精一杯やり切った、と言える年だったと思います。2016年も、この1年間にしかできないこと、しっかりやり切れる年にできれば。今から色々と企画も立てておりますので、乞うご期待、ということで、今年も、応援方、何卒よろしくお願いいたします!