宗教への意識が弱い、といわれる日本人の典型で、我が家も、日ごろ、そんなに宗教を意識することはないのですが、お年始の神社めぐりと、お盆の墓参りは欠かさないようにしています。そういえば、清水義範のどうでもいい短編小説で、日本文化に疎い帰国子女の女の子が、外国人観光客に、神社とお寺の違いを説明しようとして、「神社は結婚の時に、お寺は葬式の時にお世話になる場所だ」と説明していたのを読んだことがあるな。うまいことを言うもんだなーと思った記憶がある。我が家は日ごろから神道の神様を意識することが多くて、仏様を意識することが少ないんだけど、ありがたいことに、あまり身近に不祝儀がないおかげもあるかもしれないなー。
でもなんといっても、我が家の近くに、大國魂神社と布田天神という、1000年以上の歴史を持つ由緒正しい神社がある、というのが、神道の方を身近に感じる一つの大きな要因だと思います。武蔵国の国司ですからねー。これほど強力なご神域もない。5月のくらやみ祭りとか、甲州街道をにぎわせる秋の例大祭とか、地元の神様を意識する機会も多い。なのでお正月ともなると、自然に、まずはお世話になる神社への初詣に行かねば、という発想になる。お正月は女房の実家の岩手で過ごすので、岩手の神社にもご挨拶に行こう、ということになる。
というわけで、年明けから先日の3連休にかけて、全部で7つの神社に初詣。今年の安寧をお祈りしてきました。なので今日は、新年の行事も交えながら、お年始に回った神社参りのことを。ついでに、それぞれの神社の来歴なんかも調べてみたりして。
まず1番目にお参りしたのが、大船渡の天神山にある天照御祖神社。ここは、天神山、という名前の通り、立派な天神様のお社が合祀されていますが、主神は天照大御神様。大船渡の北、盛町のはずれの小高い山の上にあり、参道になっているクネクネ坂からは盛町の街並みが一望できます。海のすぐそばまで山が迫っている三陸海岸沿いならではの高台にある神社。
お年始の大船渡では、「ガガニコニン」と呼ばれる獅子舞がお囃子を奏でながら各家庭を訪問し、家人がお獅子に頭を噛んでもらって、無病息災を祈願する、という風習があります。15年前、娘が産まれたばっかりのお年始も家族で大船渡で過ごしたのだけど、その時も、生まれたばかりの娘の頭をガブリとやってもらいました。
おかげでこんなに元気に大きくなりましたよ。
2つ目の神社は、陸前高田の内陸にある竹駒稲荷神社。竹駒稲荷、というと、宮城県岩沼市にある竹駒稲荷神社が有名のようですが、この陸前高田にある竹駒神社は、玉山金山の発見に伴って行基が伏見大社から勧請した、と言われる、これも由緒正しい神社です。以前は大船渡線竹駒駅の目の前に赤い大鳥居があったのですが、あの震災の大津波で、竹駒駅も大鳥居も破壊されてしまいました。
ネットで見つけたかつての大鳥居の写真。大鳥居だけではなく、この周辺の景色も全く変わっています。
玉山金山から採掘された金で、平泉の金色堂が作られた、とか、そのために藤原清衡が神社を奉斎した、など、東北の歴史に詳しい方々にはちょっとワクワクする来歴を持つ神社。本殿の裏にコンクリートで封印されたような不思議な末社があったり、狛犬の表情が特徴的だったり、オカルト好きの心もくすぐるご神域です。
お正月らしく、和服での参拝
3つめの神社は、花巻市内にある鳥谷崎神社。これで、「とやがさき」神社、と読みます。もともとこの神社のある一帯は花巻城(その前は鳥谷崎城と言ったらしい)の城郭の中で、3つあった城の鎮守を1536年に時の城主が合併したもの、とのこと。お城の守り神さまだったんですね。土地の守り神様を集めた場所、ということもあり、御祭神も、天照さま、須佐之男さま、大国主さま、豊受姫さま、誉田別さま、豊玉姫さまと多彩。
お手水につららが・・・
4つめの神社は、花巻温泉郷にある花巻温泉神社。今回回った神社の中では一番新しい神社で、1924年、花巻温泉創設者である金田一国士が、自分が頭取をしていた盛岡銀行が祀っていた稲荷神社の分身を遷座したものだそうです。ご商売の神様、といえばやっぱりお稲荷さんなんですね。ここは毎年1月1日午前0時に、裸に褌姿の男たちが新年のお参りをする「裸参り」が行われる神社です。
花巻温泉はやっぱり雪がないとねー
地元の東京に戻って、仕事始めのあと、11日に、地元の氏神さま方をお参りする。言わずと知れた武蔵野国国司、大國魂神社。調布の布田天神。そして、我が家の氏神さまの若宮八幡宮、と全部で3か所。伊勢神宮を頂点とする神社神道の体系がなんとなく見える気になります。氏神さまの若宮八幡宮は、多摩地域に多い「ハケ」(武蔵野台地が大きく落ち込む「立川崖線」の下側)にあり、ハケ下から湧き出す湧水の守護神だったのでは、と想像したりします。ネットで調べてみると、ふつう八幡宮というのは応神天皇を祭神にしているのですが、御子の仁徳天皇を祀っているので、「若宮八幡」と呼ぶそうです。治世中に数々の治水事業を行った仁徳天皇陵を祀っている、というのも、ハケ下の神様にふさわしい気がする。
11日というのは初詣にはちょっと遅いかな、と思ったのだけど、大國魂神社の参道は人出が多く、屋台も盛況でした。というわけでチョコバナナと甘酒を堪能する娘
さすがに布田天神は人出少なし。
しめ飾りや昨年の神札などをお焚き上げにおさめ、新しい神札や破魔矢を我が家の神棚にお祀りする。関東では、しめ飾りは1月7日の七草粥の日まで飾る、と決まっているようですが、私が育った関西では15日までが松の内で、成人式の日にしめ飾りを外して神社にお納めするのが通例でした。鏡開きも関西では15日。関東では11日が鏡開きなので、これもちょっと違う。私の母などが育った兵庫県の山間部では、いわゆる「どんど焼き」(田んぼなどに竹を3〜4本組んで立てて、そこで門松やしめ飾りを焼き、その火で焼いた餅や団子を食べる)の風習が残っていたのか、母は今でも、お焚き上げのことを「どんど焼き」と言います。お盆の時の送り火も、どんど焼き、と言ってた気がするな。
我が家の七草粥
お正月といっても何がめでたいわけでもない、という人も多いと思いますが、年中行事にこだわる我が家は、色んな決まり事をそれぞれの土地に合わせてきちんとやりたい、と思っちゃうんですね。根っからお祭り好きなだけなのかもしれんけど。