本物を見分ける目

うちの娘は普段は普通の中学二年生で、黒バスにはまってみたり、リア充爆ぜろ、とか口汚く罵ってみたり、さしてお上品でもない普通の中流家庭の中学生だと思うんですが、2つ、一流のものを見分ける目を持っています。一つはオペラで、もう一つは着物。

オペラについては、最初のオペラ経験が両親の舞台作りの現場だったのもそうですが、ある程度内容がわかる多感な時期に、METの舞台を親と一緒に見まくった、というのが、本当に大きな財産になっていると思います。ヨーロッパの舞台が前衛化する中、今や世界で最も保守的なMETの舞台。その劇場の空気も含めて、本物の生の舞台を沢山味わうことができたこと、そこで、自分なりの「スタンダード」をしっかり身につけられたことは、中々得られない大きな宝物だと思う。

もう一つの着物では、一年に一回、着物道楽の女房の実家で着る振袖の本物の質感に触れていることが、目を肥やすいい経験になっているらしい。先日の成人式の日に、街にあふれている沢山のお振袖を見ながら、「あれはプリント柄」「あれは手描きのいい着物だね」などと、遠くから見て次々言い当てて、隣にいたパパは驚愕。女房は娘よりもはるかに着物を見る目は肥えていますが、うちの娘も中学二年生にしてはしっかり見分けていることに驚いてしまう。

そういう見分ける目っていうのは、とにかく本物に触れないと養われないもの。よく言われるたとえ話だけど、偽札を見分けるのは、日々大量の真札に触れている銀行マンの指先の違和感だったりするそうです。オペラにせよ着物にせよ金のかかる道楽なので、NY赴任のおかげで安く本物に接することができたこととか、祖母の道楽のお裾分けを頂けるとか、ありがたい環境に感謝。しかも10代前半の一番吸収力の高い時期にそういう本物に触れることができたっていうことは、これから一生の財産にしてくれたらなと思う。

とはいえ、パパの安月給ではそんなに本物を揃えてあげられないので、今から成人式のお着物とか、どうすりゃいいんだと苦悩していたりするんですがね。女房の本振袖とか、もうこの正月に着ちゃったしなぁ。頼もしい成長が嬉しくもあり、肩にかかる親の責任が日々重く感じもする今日この頃。

ところで成人式の新宿の街を娘と歩いていて、着付けもなってないし歩き方も所作もボロボロ、という振袖お姉さん集団に辟易していたら、タクシー乗り場に降り立った一人の年配のおばさまのお着物の品の良さに二人して絶句。少し濃いめの藤色の一つ紋で、それをすっきり着こなしている佇まいも完璧。駅前のビルのロビーで同じような完璧な着物姿のおばさま達と連れ立って消えて行きました。本物を少しかじったからには、あのレベルまで到達しないと、のしのしヨタヨタ歩いてる新成人の振袖お姉さんと余り変わらないぞ。てっぺんはまだまだ遠い。