桃太郎と邪馬台国〜歴史パズル〜

歴史パズルってのは面白い、という話は、以前、井沢元彦さんの本のことを書いた時にも触れました。今回、講談社現代新書の「桃太郎と邪馬台国」(前田晴人 著)を読了。考古学と文献学の成果を駆使した歴史パズルの世界を楽しみました。

一寸法師、桃太郎、浦島太郎、という、日本のおとぎ話の代表ともいえる3つのお話を題材に、その物語の底流に流れる、大和政権成立前後の歴史の記憶を紐解く、という、なかなかにスリリングな本です。歴史学、というのは、推理小説や警察の捜査なんかに似ていて、物的証拠や証言(文献ですね)を基に、過去に起こったことを推論していく。1000年以上も前の出来事を推論するには、証拠がとにかく少なすぎる。その少ない証拠をどう推理の糸でつなげるか。

結果、一寸法師は、住吉大社の成り立ちを背景としており、桃太郎は邪馬台国と吉備王国の関係を表し、浦島太郎は丹波と大陸の交流をその源流に持っている、という結論につなげていくのが、この本のストーリーです。かなり無理な糸や、かなり細い糸でかろうじてつながっている論理、という部分もありましたけど、導き出される結論は、当時の人々の精神世界を豊かに想像させる内容で、かなり楽しめました。

邪馬台国の論争など、縄文時代から弥生時代にかけての日本、というのは、色んな想像力をかきたてますよね。与えられている材料が少ないうえに、時々とんでもないものが出てきたりするから、余計に面白いんでしょうね。自分が、大和政権のお膝元だった畿内に住んでいたものですから、こういう論争は余計に楽しいです。

でも、それこそ、諸星大二郎ではないけれど、超古代文明だの、魑魅魍魎や妖怪が跋扈する伝奇的古代史、なんてのは、物語としては面白いけど、多分現実はそんなもんじゃなかったんだろうな、と思います。科学と幻術が紙一重だった時代ではあっても、人間という生き物は、そうそう突然超能力を発揮したりしない。1000年前も2000年前も、人間は多分、現代と同じようなことで悩み、同じようなことを考え、与えられた材料の中で出来る限りの工夫をして生きていた。その工夫だって、科学の発達した現代とそう大差ないくらい、知恵と鍛錬された技術に支えられていたんじゃないかな。工夫の及ばないところは、神様に頼っちゃう。そんな平凡な生活の記憶が古代史なんでしょうね。実は面白くもなんともないのかもしれない。でも、そんな平凡な記憶が、現代まで何らかの形で受け継がれている、ということが面白い。そんな感覚で、この本を読んでいました。

しかし、桃太郎の従者の「犬・猿・雉」というのが、西の方角を示す「戌・申・酉」から発想されたのだ、というのは、この本で初めて知りました。面白いなぁ。桃太郎の向かった鬼が島が、都の西方にあることを示している暗号なんだそうです。既に江戸時代から言われていたことなんですってね。「いろは歌」を7文字ずつ並べると、「とがなくてしす」になる、という暗号論も、江戸時代にはもう知られていた、という話も、先日の「猿丸幻視行」で初めて知ったんです。仮名手本忠臣蔵、という演目名は、いろは47文字と47士を重ねると同時に、無実の罪で死んでいった義士たちへのオマージュなのだ、という話。こういう暗号解き、ってのも楽しいよねぇ。