村上敏明リサイタル〜アクートを浴びてきました〜

歌手、特にテノール歌手とかソプラノ歌手っていうのは、高音においてどれだけ圧倒的なアクートを持っているか・・・というのが勝負だったりする。肉体が楽器である歌手という職業は、陸上競技なんかのアスリートと非常に共通点が多いのですけど、このアクートを身につけ、表現していくには、陸上競技と同様、いくつかの要素が組み合わさっていかないとだめ。

自分の筋肉をコントロールする技術。もともと持っている肉体という天賦のもの。さらにいうと、筋力というのは年を取るに従って衰えていきますから、その衰えを補う日々の鍛錬、というのも必要。逆に言えば、若いからこそ出来るもの、というのもあるわけで、陸上競技のアスリートたちも、加齢による衰えとの闘いですよね。そういう意味では、オペラ歌手というのは、フィギュアスケート選手なんかに非常に近い職業かもしれない。筋力で勝負する若い時期から、年を取るに従って、力任せの技は衰えてくる一方で、様々な表現力が増してくる・・・

そういう意味で、今まさに伸び盛りの若さ、を強く感じたのが、火曜日に拝聴した、村上敏明さんのリサイタル。大田区のラ・ムジカ・フェニーチェでの演奏会。先日「ノルマ」でご一緒したご縁もあり、女房と二人で拝聴してまいりました。

村上さんの武器、というのは、何と言っても、35歳という若さで圧倒的なアクートを身につけている、という点だと思います。私の身の回りでも、35歳くらいのプロのテノール歌手、というのは沢山いらっしゃいますけど、村上さんほどのアクートを持っている歌い手さんはそういない。アプリコの小ホールでありながら、村上さんのアクートが会場全体をゆるがせると、オペラの大劇場の大空間がその場に出現したかのような感覚さえする。何を歌われても、この響きが鳴ってしまえば、もう「参りました」と言うしかない。

そういう意味で、同行した女房が、「浅田真央ちゃんのトリプルアクセルみたいな感じなんだよな」と呟いておりました。若くて伸び盛りの筋力であれば、ガンガン難易度の高いジャンプが飛べる。そのジャンプで全てを圧倒することができる。

もちろん、村上さんの素晴らしさは、若さのパワーだけではない。アクートだけでは勝負できない日本歌曲やリストの歌曲などでも、きちんと歌の世界を表現し、まとめあげていく安定的な歌唱テクニック。それだけのテクニックを身につけていること、そういう表現に挑戦していこうとする真摯な姿勢が素晴らしい。

ただ、非常に厳しい言い方をすれば、表現の幅、特に中音域の色合いの多彩さ、という点では、まだまだ・・・という感じがしました。「初恋」や「小さな空」などの日本歌曲では、非常に端整にまとめているものの、変化に乏しく単調な印象。得意のイタリアオペラでも、「仮面舞踏会」のリッカルドのような陰影のある曲になると、少し物足りなさが残る。

そういう意味で、女房ともども、「これはやっぱり素晴らしいねぇ」と言い合ったのが、「ボエーム」の「なんて冷たい手」。村上さんのロドルフォってのはホントにいいねぇ。実に瑞々しく、若々しい中音域の響き、輝かしいアクート。通しオペラを是非聴きたいと思いました。アンコールで歌われたカンツォーネ、「女心の歌」なども、実に素晴らしかったです。基本的には、若々しい響きで勝負する曲がやっぱり得意な時期、というか、そういう年齢なんだね。

そう考えると、アクートを身につけたテノール歌手が、さらに表現の幅を広げていきながら、なおかつアクートを維持し続けていくこと・・・っていうのは、本当に難易度の高いアプローチなんだね。福井敬さんや佐野成宏さんが第一線で歌い続けていられるっていうのは、言ってみれば、浅田真央さんが30歳過ぎてもトリプルアクセルを飛び続けつつ、15歳の時には表現できなかった表現力の深みも加えていくような、そういうことを実現しているってことなんだ。

女房ともども、「いいなぁ」と言い合ったのが、伴奏の仲田淳也さんのピアノ。村上さんの表現がちょっと単調になりかけるところで、ピアノがぐわっと先行して色を付け、それに村上さんがうまくあおられていく、という箇所が結構ありました。もちろん、ピアノにあおられても、その表現がきっちりできる、という点で、村上さんご自身もすごいんだけどね。そういう、歌い手と伴奏ピアニストの理想的なバランス、というのも強く感じた演奏会でした。ピアノソロ、ということで弾かれた「カヴァレリア」の間奏曲も素晴らしかった。

村上敏明さん、という歌手が、自分の武器である高音の響きを維持しながら、さらに表現力を広げていく過程を、今後も見守っていきたい・・・そんな楽しみな歌い手さんの現在を見せていただいた舞台でした。いろいろと偉そうなことを書いてしまってすみません。村上さん、仲田さん、素晴らしい演奏会、ありがとうございました。それにしても我々の周りを埋めていたオバサマ方の熱狂はすごかったなぁ。村上さんって、オバサマキラーなのかしら。それとも、オバサマ方ってのはそもそも、テノール歌手という人種が好きなのか・・・ううむ。