百人一首

あけましておめでとうございます。今年もクダラナイ独り言をぐったらぐったら書き連ねていこうと思っております。お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

お年始、といえば、百人一首。娘が、学校の宿題で、「冬休み中に、百人一首の中から二十首を覚えること」という課題をもらってきた。パパも中学生の頃に全部覚えたよ(今はほとんど覚えてないが(泣))、と言って、その頃使っていた百人一首の参考書を本棚から引っ張りだしてみる。娘に見せたら、

「この本ちょうだい」

と言い出して、自分で百人一首ノートみたいなのを作ったり、覚える20首に付箋をつけたり、色々と勉強しております。子供が自分の使った参考書を使っている、というのは、何だか妙に感慨深いものがあるねぇ。

ということもあって、今年の花巻温泉での年末年始でも、いとこたちと百人一首で盛り上がる。娘は、覚え始めたばかり、ということもあるし、そもそも目も運動神経も全然フレッシュだから、札を取る動作からしてパパママより機敏。結構パンパン札を取っていくものだから、自然と勝負も白熱してくる。

温泉から帰って、家族でのんびり過ごした昨日の日曜日も、家族3人で百人一首をやる。それでも娘が一番多く札を取る。パパもママも相当本気を出したんだけどなぁ。

昔、女房が小学生の頃、百人一首についての研究レポートを自由研究のテーマにしようとしたら、父親から「ダメ」と言われたんだそうな。改めて見直してみると、百人一首ってのは中々に艶っぽい歌が多くて、確かに小学生が研究テーマにするのは、「破廉恥である」と怒られそうだよなぁ。娘が大好きな歌が、僧正遍昭の「天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」で、これも坊さんの歌にしては実にあでやかな歌だよね。実際には遍昭さんが出家する前に歌った歌だそうだが。

百人一首っていうのは、今見ても、はっとするような美しい歌があって、いいなぁ、と思う。「白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける」(文屋朝康)なんて、茫漠とした枯れ草の野の上に吹き渡る風と光の饗宴のような、スケールの大きさと繊細さを兼ね備えたいい歌だよねぇ。

人によって好みもある気はするんですが(西行法師なんか、「嘆けとて」なんかよりももっといい歌が一杯あるんじゃないか、と思いますけどね)、それでも、百人一首の各首に込められた一瞬の情景の美しさを楽しむ、こういう雅な風習は廃れて欲しくないよね。今でも幼稚園や小学校で、百人一首を覚えましょう、なんていう宿題が出ていること自体、素敵なことだなぁ、と思います。