今年もこうして暮れていきますね

今年も仕事納めの日となりました。昨年同様バタバタ状態ですが、例によって、今年一年のインプットを振り返ってみたいと思います。毎年、自分がやった舞台活動から得られたインプットを並べることが多いのだけど、今年はちょっと違う感想。

(1)ドラマ「ちりとてちん」との出会い
(2)作家 北村薫さんとの出会い
(3)GAG第八回公演「パ・ド・ドゥ」

と並べてみました。他にも、久しぶりのガレリア座でとにかく楽しかった「美しきエレーヌ」公演とか、大久保混声合唱団の演奏会や、ガレリアフィルハーモニー管弦楽団の第三回演奏会、といった、色んな困難を乗り越えて開催された演奏会をお手伝いできたこと、自分のステマネとしての能力の限界に挑戦したような感覚のあった新宿芸術祭のお手伝いとか、色々とあったんですが、中でも今年の最大の収穫、と思えるものを3つ選んでみました。

「パ・ド・ドゥ」は、初めての再演公演、ということで、一つの台本をじっくりと作り上げていくことの大切さ・・・を再認識した気分でいます。杉村春子さんんが「女の一生」を100回公演して初めて「セリフの流れが理解できてきた」とおっしゃった・・・という話は、この日記でも取り上げたことがあるけれど、我々の舞台はまだたったの2回目。でも、前回には腑に落ちなかった部分が、自分の中でしっかり落としこめたような感覚が実に気持ちよかった。この演目はGAGのレパートリーにして、今後も定期的に取り上げていきたい、そんな気がしています。

今年、色んな新しい作家さんの作品を開拓してみよう、と思い、あまり読んだことのない作家さんの本を積極的に手にとってみたんですけど、北村薫さん、という作家との出会いは、その中でも本当に大きな収穫でした。その小説世界が自分の腑に落ちる、という感覚が持てる作家には、なかなか出会えないもの。自分の胸の奥に届く手前で、色んな関門にひっかかってしまうのが普通。物語の展開が不自然に感じることもあるし、登場人物にどうしても共感できなかったり、設定そのものに納得がいかなかったり・・・北村薫さんの作品世界にも、ちょっと違うんじゃないかな、と思うような部分がないわけじゃないんだけど、そういう違和感を超えて得られる共感が底流にあって、多少の瑕疵を覆い隠してしまう。こういう共感を感じられる作家さんに出会えたことは、今年の大きなインプットだったと思う。

第一位にドラマを入れたことなんかなかったと思うのだけど、「ちりとてちん」というドラマは、今年の最大の収穫だった、と、今振り返ってみてもそう思います。作品としての完成度にうならされた、というのも、作品が発していたメッセージに感動した、というのも、どちらも正しいのだけど、そんな客観的な評価を超えて、ドラマという表現でこんなことまでできるんだ、こんなに人を感動させることができるんだ、という驚きすらありました。

この日記では、過去何度か、「物語」の持つ力について書いたことがあると思います。マンガの持つ物語発信力や、オウム真理教の狂気の物語に惹き付けられた若者たち・・・最近の世の中には様々な「物語」が溢れているのだけど、大量の「物語」が製造され消費される一方で、逆に「物語の不毛」を感じることが多い気がする。単純に、そうやって大量に流通している物語に共感できない。グロテスクな物語、殺伐とした物語、浅薄な物語、自己破壊的な物語・・・そういう最近の「物語」たちへの違和感は、時代そのものへの絶望感や、幻滅につながっていく。自分自身の感覚が、もうこの時代についていけない・・・と思わされる局面。

そんな中で、「ちりとてちん」は、自分自身が心から「腑に落ちる」と思える物語でした。そして、その物語が、朝ドラという表現形態においては史上最低の視聴率にあえぎながら、熱狂的なファンや作り手の執念によって、朝ドラの歴史に残る名作として評価されていったこと。それが本当に嬉しかった。まだまだ読むべき物語、語られるべき物語が世の中にはある。そしてそれを受け入れ、感動を分かち合える人々がいる。私は決して孤独じゃない。そういう人々の共感を支えにして、私自身が、新しい物語を綴り、発信していくことができる。

もちろん、時代の全てが好転しているなんて幻想はないんですけど、それでも、「ちりとてちん」が示してくれた「物語」への可能性は、今年の大きな収穫だったと思います。まだまだこの世の中、捨てたもんじゃない。来年も、自分自身の「腑に落ちる」瞬間、感動の瞬間を、多くの人たちと共有できれば。そしてそういう瞬間を、「物語」を、私自身が発信していくことができれば。

今年もまた、一期一会の一年が暮れようとしております。2009年という一年間の「物語」が、皆様にとって素晴らしい物語でありますように。よいお年をお迎えください。