「依頼人」〜弁護士ってのはヤクザな商売で〜

昔、ある弁護士の友人が、こんなことを言っていたのを聞いたことがあります。「トラブル解決に、弁護士を使う手と、ヤクザを使う手があります。解決手段は、双方とも似たようなものです。暴力を使うか、法律を使うか、というのが違うだけ。でも、弁護士の方が確実に安くつきます。」

ペリカン文書」が面白かったので、引き続き図書館から借り出した「依頼人」。大まかな設定は、映画のあらすじなどで知っていたのだけど、それでも中々楽しめました。マーク少年が、大人を翻弄して大活躍するあたり、ジュブナイル的にも楽しめる。「ペリカン文書」もそうだったけど、ヒッチコック風の「巻き込まれ型」サスペンス。

少年が主人公である一方で、やっぱり印象に残るのが、少年を守る女性弁護士、レジー・ラブのキャラクター造型。あまりにも理想的に作りすぎていて、かなり鼻につく部分もあるけれど、マークの母親の解雇に対して猛然と反撃するあたりなんか、冒頭の弁護士の言葉を思い出させるところがありました。ヤクザと弁護士は敵にまわしちゃいかん、という言葉も、どこかで聞いたことがあるな。

女性弁護士であるレジーが少年の弁護をかって出る、という所に、グリシャムの「女性」に対する固定概念が反映している、という論評もあるようですし、それをあえて否定はしません。ただ、男女、という論点は横においても、レジー自体が極めて理想的な弁護士として造型されていることは確か。金で動くのではなく、あくまで、弱者である依頼人を守るために、法律という武器を使って無償で戦う。善悪の二元構造が明確なハリウッド的筋立ての中では、こういう弁護士の立ち位置が明確になっていいよね。現実はこううまくはいかないのだろうけど。

というわけで、現役弁護士でもあるグリシャムは、理想的な弁護士像をレジーに仮託する一方で、交通事故の被害者に蝿のようにたかり、加害者から巨額の賠償金を勝ち取ろうとする、いわゆる「Ambulance Chaser」(救急車を追いかけて病院に駆け込み、そのまま被害者やその家族に訴訟提起を持ちかける弁護士)の姿も、若干戯画化しながらも、きちんと描き出しています。賠償金のx割、という成功報酬で訴訟を請け負うので、とにかく何がなんでも訴訟を起こしてもらう必要がある。そのために、被害者に礼金を支払ったり、生活保障をして、「お願いですから訴訟を起こしてください」と頼み込む。ヘンな話だけど、訴訟社会である米国では当たり前の話。

私のいとこは米国に住んでいて、弁護士と結婚したんですが、その彼に、「仕事は?」と聞いたら、「Ambulance Chaser」と笑って答えてくれたことがありました。米国の弁護士ってのは、多かれ少なかれそういう「訴訟で食っている」側面があるらしい。

マフィアの弁護をかって出る弁護士、重要な証言を秘匿するマーク少年から、あの手この手で証言を引き出そうとする検事局。昔大学でちょびっとだけ法律をかじった人間としては、そういう米国の法曹界の色んな側面が描かれている点も、なかなか面白かったです。サスペンスとしては「ペリカン文書」の方が面白かったかもしれないけどね。グリシャムの作品は、「法律事務所(The Firm)」が一番面白い、という評もあるみたいなので、これも含めて何冊か、さらに追いかけてみようかな。