急にSFが読みたくなって、以前、「たった一つの冴えたやり方」を読んだことのあるティプトリーの本を図書館で借り出す。昨日読了。
ティプトリーといえば、ティプトリー・ショック、と言われる、ある意味スキャンダラスなこの作家の生涯を語らないわけにはいかない。本名、アリス・ブラッドリー・シェルドン。女性でありながら、男性名「ジェイムズ・ティプトリーJr」でSF文壇にデビュー、「もっとも男性らしいSF作家」として名声を得る。同じく作家である母親の死亡記事から、実は女性作家であったことが判明したのは、作家デビューから9年後の1976年。SF界に与えたショックは大きく、「作品は作家の性別とは無関係である」ことを皮肉な形で証明した、と言われた。
彼女が与えたショックはこれに留まらなかった。1987年、自らも心臓を病み、さらに、最愛の夫がアルツハイマー病で病床に着くと、当初からの夫との約束を守り、夫をショットガンで射殺。自らも同じ銃で自分の頭をぶち抜き、劇的に生涯を閉じる。
この「星々の荒野から」という短編集は、男性作家としてのティプトリー名義の作品と、女性作家として使っていたラクーナ・シェルドン名義の作品、さらに、実は女性であることが分かった後の、ティプトリー名義の作品が混在しているそうです。そういう背景を知ってから読んだせいかどうなのか・・・多少微妙なところもありますが、やけに、作家の個人的な心理状態をそのまま反映しているような、SF小説なのに妙に生々しい感じのする物語が多いなぁ、というのが一番の感想になりました。
特にそれを感じるのは、男女の交わりに対する描写。Sexが愛の交歓という形で描かれることがほとんどなくって、男性側が非常に攻撃的かつ破壊的に女性に相対する描写がやけに多い。要するにレイプシーンがやたらに多くて、その一つの頂点が、「ラセンウジバエ解決法」に現れる「女殺し」のイメージだったりする。数少ないハッピーなSexも、近親相姦であったり、種の保存という別の目的意識を背景に持っていたり、どこか真っ直ぐなものじゃない。どこかしら屈折している。どうしても、最初の結婚に失敗し、中絶手術の失敗で妊娠できない体になった、という、作家自身のSex観が反映しているような気がしてならない。
その結果かどうかは別として、どの作品にも、フェミニズム色が強くて、そこが鼻につく・・・という感想もあるかもしれないし、実際その通りだと思います。抑圧し、破壊する性としての男性と、抑圧され、踏みにじられる性としての女性、という描き分けが繰り返し出てきて、なんだか「そこまで言わんでもいいんじゃないの?」という気もしてくる。ただ、この本には、単なるフェミニズム小説集、という枠を超えて我々に訴えてくる力がある。それは、フェミニズムと絡み合いながら繰り返し出てくる、「今、私のいるこの場所は、私のいるべき場所ではない」とでも言い換えられる、空に焦がれる魂、というテーマ。
宇宙という膨大な距離を挟んで、ひたすらに呼び合う魂(「たおやかな狂える手に」)。常に空から呼ばれている、という感覚。その呼び声は時に皮肉な形で人々を翻弄したり(「われら「夢」を盗みし者」)、あるいは人を絶滅に追い込んだりする(「スロー・ミュージック」)のだけど、表題作の「星々の荒野から」に描かれる少女の魂の昇華シーンは、いわゆる「コンタクトもの」の枠を超えて、「ここにはいない何者か」との交感という感動的なイメージにつながっていく。
解説で、訳者の伊藤典夫さんが、宮沢賢治の「よだかの星」との共通性について述べていたのだけど、すごく分かる気がする。生まれる場所を間違えてしまった、生まれる形を間違えてしまった、という感覚。ここではないどこかに向かって飛翔していこうとする魂。それは多分、ティペトリー自身が強烈に持っていたイメージであろう、というのが、解説の中にも語られていて、作家自身の実感ゆえの生々しさを持って迫ってくる。
さらに言えば、「空から呼ぶ」視線や、「空から人々を見下ろしている」視線(「天国の門」「ビーバーの涙」「ラセンウジバエ解決法」)というのは、CIAに勤務して数々の航空写真の分析を行っていた、という彼女自身の経歴にもつながる。SF小説というのは(日本はちょっと別として)、あまり作者の個人的な環境や状況を反映しないもの・・・という感覚があったのだけど、ティペトリーのこの小説群には、「私小説的SF」と言ってもいいくらいに、彼女自身の個人的な感覚や経験が色濃く反映しているような感じがする。その生々しさが、ちょっと鼻につく部分でもあり、そんな生々しさとエンターテイメント性がきちんと共存している点が、一種中島みゆき的にすごい部分でもあるのだけど。
とりわけ、「スロー・ミュージック」は、心臓を患って人生最悪の状況にあった、という作家の心理を反映して、生への賛歌、現世への憧憬と、そんな生命が必ず到達する「死」という運命に対する諦観が入り混じった、哀切極まりない物語になっています。この中に、明らかに作家自身を投影していると思われる登場人物が出てくるのだけど、あまり言うとネタバレになるので、このくらいにしておきましょう。話としては、主人公がものすごく思い入れ深く描かれる分、ラストの後味の悪さが際立って、「たった一つの冴えたやり方」の時のようにどっぷり落ち込ませてくれます。
テーマはヘビーだし、男性にとってはつらい描写も多いし、爽快感を与えるような作品集ではない。なので、個人的にはさほどのめりこみませんでしたが、思春期の疎外感を持った少年少女には結構効くんじゃないかなぁ。なんとなく、他の作品も読んでみたいなぁ、と思わせる魅力を持った作家でした。