藤堂志津子「ジョーカー」〜バブル期の精神〜

バブル期、というのは、なんとなく私や私の女房の精神形成に色濃く影響している気がします。確かに異常な時代だったかもしれないけど、あの時代の空気を呼吸していた、という経験は、かなり貴重な体験だと思う。あのバブルの時代、日本人は全員、何かわけの分からないものに酔っていました。総発狂時代、とも言えるし、総発情時代、とも言える。でもねぇ、じゃあ、バブルの時期が、「悪い時代」だったの?と言われると、少なくとも楽しい時代だった気はするんだよね。今と、あの頃を比べてみると、精神的な余裕のなさ、という意味では、今の時代の方が閉塞感があって「悪い」時代のような気がしてしょうがない。バブルの時期に、金のもたらす快楽を知った日本人は、過去のモラルや節度という美徳を失い、その後の崩壊と喪失の十年で、金がないことの悲惨を知って、さらに狂ったように利己的になり、結果、戦前の日本が持っていたモラルは完全に破壊され、拝金主義と享楽主義が取って代わった…というのは言いすぎかしらん。

藤堂志津子の「ジョーカー」が、我が家の本棚にあって、女房が昔買ってきた本だったようなのだけど、なんとなく手にとって先日読了。なんてバブリーなお話なんだろう、と噴出しそうになってしまう。でも一方で、そのバブリーな時代の描写に、なんとなく郷愁のようなものも感じてしまう。もてあますほどの財産を持ちながら、「僕はからっぽなんだよ」と、愛人であるヒロインに惜しげもなく与え続ける、どこまでも優しいバブル紳士。あの時代には、確かにこういう人たちが沢山いた気がします。そしてこういう人たちは、意外とすさんだ精神世界を持っていなかった気がする。自分の、実態から乖離した「からっぽ」な豊かさにおぼれながら、どこかで破壊と終末の予感に怯え、自分を慕ってくれる人々に、ひたすらに無償の贈り物をし続けた人々。

私の周囲でも、個人経営のアパレル輸入代理店の社長の愛人やってる女子大生、という、恐ろしくバブリーな人種がいました。歯医者さんの愛人やってる女子大生もいたっけ。みんな、「あたしは何やってるのかなぁ」という、虚しさと、いつかはこういう生活も終わる、という予感を抱えながら、でも、やっぱり楽しそうだった。それはそれだけ、彼らバブル紳士自体が、ものすごく「優しい」人たちだったからじゃないかなぁ、と思います。バブルの時代というのは、精神的にはそんなに荒れた時代じゃなくて、精神的には、すごく優しい時代だった気がするんだよね。

誰かが、「「清貧」なんてのは幻想で、貧しければ必ず心は荒れる。「清富」という状況こそ目指すべきもので、心の豊かさはある程度の経済的な余裕がなければ生まれてこない」、ということを言っていました。それは確かにその通りなのかもしれないけど、結局のところ、自分の今ある場所を、「ここじゃない」と思う苛立ちが、精神的荒廃を産むような気がします。そういう苛立ちというのは相対的なところから来る。つまるところ、自分の足りないものを持っている人への嫉妬であったり、自分の過去の豊かさと比較しての現在の貧しさへの苛立ちであったり。「バブルの頃はなんでもあったのに、今はこれだけしかない」と思うのも不幸だし、「あの人はこんなに持ってるのに、私はこれだけしか持ってない」と思うのも不幸ですよね。

「ジョーカー」の中で中心的役割を占めているのが、周りがうらやむような幸福な家庭を持ちながら、その家庭を肯定できずに悩み続ける父親、というキャラクター。結局のところ、「オレは何かを持っていない」という、減点主義的な喪失感・不充足感が、人を不幸にする。「オレはこれだけのものを持っている」という、加点主義的、現状肯定的な発想が、どんな場所にいても、人を幸福にする。私がよくこの日記にも書いている、「知足」=足るを知る、ということ。

分かっちゃいるけどね、そういう境地に達するのは本当に難しい。バブル紳士たちが「愛人」たちに見せた優しさは、やっぱり自分自身の中の「不充足感」から来ていて、それをつかの間でも満たしてくれる「愛人」という存在を、限りなく慈しもうとしたからだと思います。そういう意味では、彼らは決して幸福ではなかった。でも少なくとも、人に対して優しかった。

比較して、現在。経済的に破壊され、神戸の震災とオウム事件で精神的にもトラウマを背負った日本人は、完全に心のよりどころを失って、ひたすら、「自分のいるべき場所はここじゃない」と苛立っているように思います。そうじゃないんだよ。キミがいる場所こそが、キミの場所なんだよ。そして、その場所はそんなに悪くない。愛するべき場所なんだよ。今自分のいる場所を愛すること。今、自分の周りにいる人々を愛すること。そうやって自分の幸せを、一つ一つ積み上げていくこと。偉そうにいいながら、私自身にも全然出来てないことだけど、「こんな風に生きてる自分って、割と好きだなぁ」と思えるように生きることができれば、きっと素敵だと思うんだけどねぇ。