ソプラノ歌手とおっぱい

タイトルを書いて、「良いおっぱい、悪いおっぱい」という本を思い出したな。読んでないけど。そういえば、池澤夏樹さんが、「母なる自然のおっぱい」という本を出した時に、「おっぱい」という言葉を本のタイトルにしたのが、この本の成功の要因だった、なんてこと書いてたっけ。「おっぱい」という言葉には万人を惹きつける魅力があるんですねぇ。ううむ。なんの話だ。

脱線ついでに、女房のママ友達に、英国人の女性がいらっしゃったことがあって、その方が、「げんこつ山のたぬきさん」という歌を子どもに歌わせることができない、と悩んでいた、という話を聞いたことがあります。「何がいけないの?」というと、「おっぱい飲んでねんねして」という言葉がダメなんだって。「おっぱい、なんていう単語を子どもが口にするなんて、許せません」と怒っていたそうです。西欧の価値観からすると、セックスに関連する言葉や状況というのは、子どもから完全に隔離しなければならないものなんですね。夫婦の寝室と子ども部屋を小さい頃から分ける、というのも同じ価値観から来ている。

えっと、おっぱいの話をしているわけじゃなくて、声楽とおっぱいの関係について書こうと思ったのです。おっぱいの話だな。おっぱいはいいぞ。うん。

欧州の歌劇場の舞台を、生で、あるいはTVや衛星放送で見ていると、女性歌手の「どどーん」としたおっぱいに圧倒されることがあります。特に圧倒されたのが、シコフがやったスカラ座ホフマン物語で、ジュリエットを歌ったメゾソプラノ(確か、デニス・グレイブス)のおっぱいがすごかった。何がすごいって、ブレスのたびに、2つの山が風船のように膨らむんですよ。それもでっかい風船ですよ。小学生の頃、肺の構造、とかいって、ゴム風船がガラス瓶の中で膨らむ実験とか見たけど、あれを生身の人間で見ている気分。

先日日記に書いた、フリットリとキルヒシュラガーの「コシ・ファン・トゥッテ」。フリットリのおっぱいがもうはちきれそう。キルヒシュラガーとか、スレンダーでそんなにグラマーな方じゃないと思うんだけど、やっぱり風船が二つならんでる。これがまた、ブレスのたびにボワンボワン膨らむ。すげぇ。

どうも構造的に、彼らが使っているブラジャーの構造が違うんじゃないかな、と思います。うちの女房も結構立派なおっぱいの持ち主なんで、一度、ガレリア座の公演で、欧州女性歌手なみに胸の谷間を強調してみようとしたことがあったんだけど、あそこまで行かないんだよねぇ。かなり「寄せて上げ」てやらないと、風船状態にはならない。最近、日本でも胸の谷間を強調する女性が増えてきていて私みたいなスケベおやじは嬉しい限りですけど、それでも欧州女性ほどにはならない。おっぱいのモノ自体が違う、ということ以上に、下着の要因ってのは大きい気がする。

そんな風にボワンボワン膨らんでいるおっぱいを見て、「胸でブレスしないで、腹でブレスしろって言われるけど、どうしてここが膨らむんだろう」と私が呟いていたら、女房が一言。

「息は肺に入るのであって、腹に入るのではありません。」

そういうことなんですね。ブレスをする時に胸を動かすな、という人がいますけど、実はちょっと違う。腹を動かすことで胸の力を抜くことに意味がある。さらに、腹と背筋を使って息を入れれば、自然と胸が広がります。「ブレスをする時に、胸が動く」のは当たり前のことなんです。

言葉っていうのは不自由なもので、「腹式呼吸」という言葉にとらわれて、胸の共鳴腔を広げる意識を失ってしまうと、却って不自然な呼吸になってしまう。おっぱいの教えてくれることは中々深いぞ。うん。