明日はいよいよ蔵コンサートの公開GP。初めて、お客様を前にしての演奏になります。まだまだ煮詰めないといけないところが沢山残っているので、人前に出すのはお恥ずかしい限りなんですが、ご来場いただく皆様の忌憚ないご意見をいただければと思います。
さて、先日来、本のことを書くことが多いので、子供の頃から読み漁った本のことを、つらつら書いてみようと思います。多分長くなるので、今回は「その1」ということで、まずは小学生の頃に読みふけった本のことを。
・松谷みよこ「まえがみ太郎」「たつのこ太郎」「日本の伝説」「ふたりのイーダ」
松谷みよこさんの「モモちゃん」のシリーズは、1冊くらいしか読んでないんですが、「まえがみ太郎」や「たつのこ太郎」は擦り切れるほど読みました。特に、「まえがみ太郎」の荒々しいイラストと、ヒロイックファンタジーのようなスケールの大きな物語にはわくわくしましたね。お正月さんが持ってくるおモチがほんとに美味しそうなんだなぁ。
「日本の伝説」のシリーズは、家に、丸木位里・丸木俊ご夫妻が挿絵を書かれた絵本が2冊あったんです。ユーモアと怪異に満ちた豊かな日本民話の世界を、松谷さんのじっとりとした粘っこい語り口で綴っていく、迫力ある物語。丸木ご夫妻の挿絵も、時にはユーモラスに、時にはダイナミックに、そして時には幽玄に、と、実に印象深いものでした。子供心に、火を噴く島を逃げ惑う人々や、深い淵に身を投げる姉妹の姿など、目に焼き付いています。大人になっても、ファンタジーや怪異ものに惹かれる素地を作ってくれた、影響力の大きな本でした。首無し行列の話なんか、今読んでもぞぞっとする。
「ふたりのイーダ」については、昨日もちらり、と書きましたけど、本を読んで感動して涙が出た初めての本だったような記憶があります。最後のページの、赤子を抱いてすっくと立つ、りつ子お姉さんの挿絵を見ると、本当に胸が熱くなる。イスがばらばらになってしまうシーンも切ない。扱われている題材は、輪廻、生まれ変わり、といった極めて日本的な情念の世界なんですが、ドキュメンタリー、というか、推理小説風に書き進められているおかげで、それほどドロドロした印象がない。この乾いた感じが、さらに感動を深くしてくれている気がします。
・ロイド・アレグザンダー「ブリデイン物語」
数年前、図書館でこのシリーズに再会して、思わず全巻読みふけってしまいました。はい、通勤電車の中でです。通勤電車でブリデイン物語を読んでいる中年サラリーマンを見たら、みんな引きますわな。すみません。
すごく印象に残っているのは、最終巻で、吹雪の中に閉じ込められた一行が、何か燃やすものはないか、と言い出したときに、大好きなキャラクターだった吟遊詩人が、自分の相棒の竪琴を燃やすシーン。燃えながら竪琴が、今まで奏でた様々な歌を次々と奏でていく。これは泣けたなぁ。
それぞれのキャラクターがなんとも人間臭く、等身大なのが好きです。超人の物語ではなく、「豚飼育補佐」という普通の少年が成長していく、というのがいい。
「ナルニア国物語」も読んだんですが、最終巻のどんラストの結末が大嫌いで、おかげで全編が嫌いになってしまいました。「朝びらき丸 東の海へ」とか、結構好きだったんですがね。そういう意味でも、「ブリデイン物語」の方が、すっきりしたラストシーンになっていて好きでした。
・ル・グィン「ゲド戦記」
「ゲド戦記」は、やっぱり3部作だったと思っています。「帰還」では、ゲドとテナーが結ばれたこと以上の感動はあまりなく、「アースシーの風」は、カルカドとアースシーが結ばれたこと以上の感動はあまりなかった。2冊とも、やっぱり「後日談」という気がします。あの3部作で示された世界観、哲学、そして雄大な光と影の闘争の物語。その構成の完全さと、その哲学の深さ。今まで読んだ本の中で、最も影響を受けた本の一つだと思います。
世界観だけでなく、その世界の中で必死に自分の役割を生きる登場人物たちも、実に魅力的でした。第一部のゲド、第二部のテナー、第三部のアレン王子、3人を取り巻く人々の一人一人が、運命の導くままに、あるいはその運命に逆らって、自分の信じる道を進もうとする。語られている物語の外にある物語の豊穣さにも、圧倒されました。
石を一つ投げるだけでも、均衡は崩れる・・・この本がくれたメッセージ、哲学は、今でも時々、自分の中で反芻されます。第三部のラストでたたずむ、ゲドの満ち足りた表情。ああいう形で人生を終われたら、本当に素敵だろうなぁ。
「ゲド戦記外伝」まだ読んでない。早く読まないとなぁ。