獣の奏者〜リケジョ、五感、制御できない力〜

獣の奏者、という本のことはずっと気になっていました。何よりタイトルがいい。見ただけで、野に広がる音の響きが、さあっと頭の中に鳴る感覚がある。アニメ化され、上橋菜穂子さんが文化人類学者だ、と聞いてさらに興味は募る。文化人類学者を親に持ち、希代のファンタジー作家である大好きなル・グィンと、共通点が多すぎるじゃないですか。上橋さんが国際アンデルセン賞を取った、というニュースも、読まねばという義務感を後押し。先日立ち寄った図書館で、全四巻が揃っているのを見て、今でしょ、と借り出し、一気に読了。手を伸ばしたらそこにあるような、存在感溢れる異世界にどっぷり浸かる。

ファンタジーが苦手な人にも是非読んで欲しい、という書評が多いのは、緻密に構築された異世界の描写のリアリズムと、テーマや素材の現代性のせいかな、と思います。飛翔する巨大生物にまたがるヒロイン、という点では、アン・マキャフリーの「竜の戦士」と共通するのだけど、あのヒロインがヒロイックファンタジーの超人的な主人公というステレオタイプと、愛と冒険という類型的コンテクストから逃れられなかったのに比べて、獣の奏者のエリンは、あまりにも現代の日本に住む我々の同一線上にいる。その辺りも含め、この本について語りたいことは沢山あって、全部書き連ねるととっちらかってしまうと思うので、三つのキーワードに限って書いてみようと思います。以下、ネタバレ記述ありますので未読の方はご注意ください。

・リケジョの物語

これってリケジョの話だなぁ、と思いながら読んでました。リケジョっていう言葉はSTAP騒動でちょっとネガティブイメージがついちゃいましたけど、極めて現代的な存在で、あまり過去のフィクションに登場しなかったキャラクターじゃないかな、と思う。文系分野のキャリアウーマンが活躍する物語や、女医さん、というのは結構真ん中のキャラクターになってた気がするんだけど、生物学者のような理科系分野のリケジョを主役に据えた物語って、少ないんじゃないかなぁ。誤解があったらすみません。でも、研究者として、自らの知的好奇心と、研究対象に対する深い愛情をモティベーションに、様々な苦悩を振り切りながら突き進むエリンの姿は、単純にキャリアウーマンとして凛としてかっこいい。獣の生態を研究するために各地を旅するエリンの描写には、恐らく文化人類学者として多くのフィールドワークを経験した上橋さんご自身の経験が反映されていると思われ、そのリアリズムにも圧倒される。

・五感

五感、と書きましたけど、一番印象に残ったのはなんと言っても味覚。最初の、味噌漬け猪肉、というアイテムで、もうノックアウトされてしまったのだけど、とにかく出てくる食べ物がどれもこれも美味そうなんだよね。ハチミツをたっぷりかけたファコ、赤砂糖の焼き菓子、全部架空の食べ物なのに無茶苦茶美味しそう。麺類はないようなのだけど、コメを主食にしているエリアがあったり、食事に箸を使っていたり(アニメを見ていないので、アニメではどういう表現になったか知らないのですが)、ちょっとアジア風のテイストがあるところで親近感が沸く。その親近感をベースに、全く架空の食べ物を次々に繰り出してくる豊穣な想像力。

食事の描写だけじゃなく、ある意味非常に観念的になってしまいそうな物語をリアルにしているのは、その場その場での主人公たちの五感の描写が非常に繊細だから。馴れていると油断していた王獣が牙を剥いた痛み、空を駆ける獣にしがみつく指のかじかみ。人の心を苛立たせる超高周波音、毒を含んだ体液のひりつく痛み。それぞれがきちんと細かく描き出されることで、キャラクターの五感を我々が生々しく共有できる。時にはその感覚はあまりに激しくて、この作品が児童文学として書かれていないことを実感する。エリンとイアルが結ばれる場面も官能的で、ゲド戦記でゲドとテナーが結ばれるシーンのような名場面。

・制御できない力

人間が、その知識によって巨大な力を手に入れ、それが制御できないまでに膨れ上がって自滅する、という物語は、遠くフランケンシュタインの時代から繰り返し語られていたテーマで、人の手によって作り変えられた生物の逆襲、という物語も、ゴジラ風の谷のナウシカ王蟲に共通する。とりわけ闘蛇や王獣という存在には、王蟲が持っていたグロテスクさと神々しさが見え隠れする感覚がある。そういう語られ尽くした物語でありながら、獣の生態をつぶさに研究する中で、失われた過去の知識を辿ろうとするエリンの道程は、推理小説の謎解きを読むようなスリルに満ちている。さらにその切迫感・悲愴感が身に迫るのは、我々自身がフクシマの悲劇を体験して、自ら制御しきれない力を持ってしまったことに慄いている今という時代も影響している。戦を回避できないのか、と悩みながら軍備増強に手を貸すエリンの苦悩は、憲法九条という理想と現実に悩む現代日本の我々自身の苦悩でもある。

色んな意味で、現代日本だから生まれた物語、と思うのだけど、そういう雑念が色々湧いてしまうのが年寄りの読書の寂しい所で、物語に対する単純な感動を邪魔してしまうんだなー。もう少し若い頃に読みたかった本だし、この本を10代20代で読める若い読者が羨ましい限り。子供の性別は違うけど、一人の子供の親、という立場で読むので、エリンの家族の絆が描かれるシーンでは素直に胸が熱くなりました。イアルが増水した川に飛び込むシーンはもう息が詰まるような思いでした。