ちょっと最近固い話が続いたので、今日はかなり柔らかめなお話をば。これまでに自分の心に残った様々な曲のことを書きたいと思います。
小学生の頃。もともとクラシックを聞いて育った子供ではなく、普通の子供でしたから、それほど音楽に触れる機会に恵まれていたわけではないんです。家にあったステレオも古いもので、ろくな再生機器はない。ところが、通った小学校の音楽の先生が、非常に熱心な先生で、大阪府内の合唱コンクールで優勝したりしたものだから、音楽の授業がとても楽しかったんですね。
自分は合唱団には所属しないで、もっぱら鑑賞の方だったんですが、そこで聞かされる曲も、やはり児童合唱の曲が多い。「合唱」「歌」ということが、自分にとって身近なものになったきっかけだったと思います。中でも妙に心に残っている曲が、合唱組曲、「富士山」と、「ちこたん」です。
「富士山」は、今でもときどき、「六根清浄、山は晴天」というリフレインが口をついて出ますね。なんでかなぁ。当時は全然知らなかったんですが、小林秀雄先生の作品なんですね。とてもきれいな曲だったのを覚えています。
大阪の学校でしたから、「ちこたん」はよく聞きました。学校の合唱団のレパートリーにもなっていたと思います。前半部分の楽しいところでは、教室も大受けでした。ちこたんが交通事故で死んでからの「泣き」の部分って、子供心にはよく分からないところがあったんですけど、今から考えると、まっすぐ直球の社会派の歌だなぁ。
でも、実は、音楽の授業で一番心に残っているのは、シベリウスの「フィンランディア」だったりします。先生が、「これは歌がないから、みんなにはちょっと難しいかもねぇ」とおっしゃりながら聞かせてくれたのですが、子供心にすごく「かっこいい!」と興奮したのを覚えています。
中学に入ってからは、合唱曲からも離れて、ギター抱えてニューミュージック歌っておりました。聞きまくった曲、といえば、なんとも時代を感じさせるものばっかりです。
まずはビートルズ。これはやっぱり、外せませんね。どの曲、ということはないですけど、中学に入ってすぐくらいに聞いた、「Please Please Me」のハーモニカのかっこよさは、強烈でした。好きな曲を並べると、やっぱりポールマッカートニーの曲の方が好きだなぁ。
なぜか、富田勲の「惑星」もしばらく愛聴していました。音がぐるぐる回るダイナミックさが好きでした。でも、後にオーケストラの原曲を聞いたら、原曲の方が断然素晴らしい。最近、「木星」が流行ってますけど、これも原曲の方が断然素晴らしい。いくら技術が進んでも、オリジナルを越えられないものってあるんです。
しばらく、流行のニューミュージックを追いかけて、さだまさしさんのアルバムを聴きこんでいたころがありましたけど、「おやじの一番長い日」あたりから説教臭さが嫌になって離れました。でも、「帰去来」「風見鶏」「私花集」の3枚は擦り切れるほど聞いたなぁ。今でも、御茶の水に行くと、橋の上からレモン投げてます。ウソです。
その後、アコースティックギターをきちんと勉強したくなり、サイモンとガーファンクルをコピーしたりしてました。「ブックエンド」なんていい曲が一杯ありますよね。「四月になれば彼女は」とか、「Cloudy」のイントロのギターのフレーズなんか、澄み切った感じがすごく好きです。
その後、ちょっと迷走しましたね。ヘビメタとか、プログレとか、なぜかラリー・カールトンを聞いたり、高中正義を聞いたり。そうしているうちに、来ました、YMO。型どおりこれにはまった後で、続いて来ました、大瀧詠一。ここから、はっぴいえんど、ムーンライダーズ、サディスティック・ミカ・バンド、シュガーベイブなんかを聞きまくってました。「風来坊」「ダウンタウン」「タイムマシンにおねがい」なんか、なんてかっこいいんでしょ。
こういうポップス、最近ほとんど聞くことがなくなってしまったんですけど、ずっとこうやって遍歴してきた中でも、結局、「ハーモニー」ということにずっとこだわりがあった気がします。サイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」なんか、左右のチャンネルで二人の声パートが分かれているのを、わざわざ片チャンネルだけ録音しなおして、サブパートを一生懸命さらったりしてましたし。声、歌、特に、「ハーモニー」に注目しつづけていた、ということの原点は、こうやって思い返してみると、小学校時代の合唱経験だったりするんですね。子供のころの刷り込みって大事だなぁ。娘にはせいぜいいい音楽を刷り込んであげなければ・・・といいながら、ヴェロニクの合唱やらこうもりの序曲を聞いて踊っているこの娘の将来は一体・・・