「何を語るか」「どう語るか」その2

平田オリザさんの「演劇入門」を読み進めています。そこで、非常に面白い表現に出会いました。「言葉のコンテクスト」「身体のコンテクスト」という言葉です。
コンテクスト、という単語、最近本当によく聞くようになりました。昔はそんなに使われていなかったと思うのですが、コンピュータ用語として、アプリケーションの作動環境をコンテクスト、というようになってから流布しはじめたんでしょうか。文脈、と訳されることが多いですが、「ハイ・コンテクスト」「ロー・コンテクスト」といったように、プレーヤーが意思疎通において共有している情報や、常識、といった意味で使われることもあるようです。(例えば、日本のように、社会の同一性が高く、共有される情報や常識が均一化している場合に、「ハイ・コンテクスト」と言うようです)
平田さんの議論の中では、どちらかというと、後者の「共有されている情報」のような意味合いで使われているようです。「一人一人の用いる言語の範囲・内容」という言い方をされていますが、俳優さんが演技を行う上で、いかに、自分のもっている「コンテクスト」を拡張できるか、あるいは非常に特徴的で魅力的な「コンテクスト」を持っているか、ということが、俳優の実力を決めるのだ、という論法で語られています。
俳優が演技をする上では、身体表現の「コンテクスト」、言葉をあやつる上での「コンテクスト」がある、というのが平田さんの記述です。先日ここに書いた、「何を語るか」「どう語るか」という議論を、非常に明確に言語化した議論で、とても面白かった。
もっとくだいて言えば、例えば、身体表現。平田さんの出される例だと、ご飯を食べるときに、右手でお箸を持って、左手でお茶碗を持つ、のが日本の食事。でも韓国だと、お茶碗は机に置いたままで、お箸はおかずを、ご飯はスプーンで食べるそうです。こうなると、食事をする、という動作について、韓国での「身体のコンテクスト」と、日本での「身体のコンテクスト」が異なっている、ということになる。
では、日本人が韓国人を演じる、となれば、韓国の「食事のコンテクスト」に沿って食事をしないといけない。言語について言えば、例えば「方言」というのはもっとも分かりやすいコンテクストです。関西人を演じる関東人の関西弁を聞いて、「何ゆーとんねん」と怒り出す関西人がたくさんいますが、これは、役者が「コンテクスト」を拡張できない、という能力不足が生み出す摩擦。
実は、この「コンテクスト」こそが、「どう語るか」ということなのじゃないか、と思うんですね。すごく端的な例で言えば、例えば、シェイクスピアの演劇を、関西弁でやってみたら、とか、東北弁なら、という、最近時々見られるアプローチ。これも、「コンテクスト」を変えてみることによって「テキスト」がどう変貌するか、というアプローチ。つまり、現代においては、「テキスト」は既に語られ尽くしており、「コンテクスト」において勝負をかける時代になりつつあるのでは、ということ。「何を語るか」から「どう語るか」が重要になりつつある、という、私の以前の議論を言い換えれば、「テキスト」から「コンテキスト」へ。ということになるのではないか、と。

これは、もっと分かりやすい言葉でいえば、「パラダイム」から「コンテクスト」へ、ということなのかもしれません。以前は、いかに「パラダイム」を変貌させるか、ということが、演劇を含めたさまざまなパフォーマンスの一つの目的でした。見ている人の持つ「パラダイム」の否定と、再構築。しかし、パラダイムが破壊されつくしてしまい、多種多様なパラダイムが共存する今日においては、異なる「コンテクスト」の提示によって、観客の持つ「コンテクスト」の再構築を図ることが、パフォーマンスの一つの目的となっているのではないか。

ううむ、ちょっと手に余るテーマになってきたな。しかし一つだけいえることは、「テキスト」や「パラダイム」の価値は、それが「正しいか正しくないか」といったレベルであるのに比べて、「コンテクスト」の価値は、それがより「面白いか」とか、「気持ちいいか」といった、論理的でない部分に依っている気がするんです。一つの例を引いてみると、以前、この日記でもちらりと触れた、新国立劇場での「愛の妙薬」公演。ここでは、「ネモリーノ=ゴッホ」というコンテクストを提示することで、「愛の妙薬」の再構築を図っていたのですが、正直、私にとっては「面白くなかった」。この演出家のコンテクストに魅力を感じなかったんですね。前衛的なオペラ演出に時々感じる、「ついていけないなぁ」という感覚は、この「コンテクスト」の摩擦ではないか、と思うんです。

ますます手に負えなくなってきたので、ちょっと中途半端ながら、今日はこんなところで。しかし、この「コンテクスト」という単語、現代のパフォーマンスを語る上では、もう不可欠な言葉になりつつあるのかもしれませんね。