1音の壁、そして、見果てぬ夢

なりたいもの、やりたいこと、が、必ずしも、できること、と一致しない、というのが人生の残酷で、そういう挫折をテーマにした創作なんてのも数限りなくある。諦めずに頑張ればきっといつかは、なんていう子供の頃のおとぎ話は、どこかで必ず壁にぶち当たるもので、そういう挫折をどうやって次のバネに変えていくか、というのが前向きに生きるための「コツ」なんだろうなと思う。

久しぶりの日記の更新でいきなり人生訓みたいなことを書き連ねておりますが、4月というのは、今年度こそあれをやろう、これをやろう、という意欲が一番高まる時期の一つだろうと思うんですよね(お正月にそういうピークがくる人もいる気がするが)。でもそれって逆に、昨年度やろうと思ったことが中途半端に終わって死屍累々状態になっていることへの反省も加わるわけで、やりたいこととできることって中々一致しないよねー、と改めて思う季節でもあるわけですよ。

さらに加齢という要素も加わって、そろそろ自分の人生のゴールが見え始めてくると、死ぬ前にあれをやっておかないと、という、いわゆるBucket Listをそろそろ具体化していかないといけない。残された時間が限られている中で、Bucket Listの中に入れることができる「やりたかったこと」というのも、「できること」かどうかのふるいを潜り抜けることができたものに限定されてしまう。そりゃあね、宇宙旅行に行ってみたい、とか、エベレストの山頂に立ってみたい、とか、ガンダム操縦してみたい、とか色々あったかもしれんけどさ。今からじゃどう考えても無理でしょ、という夢は、Bucket Listには載せられない。

もちろん、可能性がゼロだと思いこむこともないかもしれないですよ。宇宙旅行には行けないよね〜、なんて思ってても、ひょっとしたらとんでもない大金が転がり込んできて、宇宙ホテル1泊旅行、なんてのが実現するかもしれない。エベレストの山頂だって、バーチャルリアリティ環境がもっと進化すれば、疑似体験できるかもしれない。ガンダム操縦なんてのはあと5年もすれば実際に操縦できるかもしれんぞ。お台場あたりで。無理、と最初からあきらめてしまう必要もない。まだ可能性はある。そう思いながらBucket Listを考えていくと、それでもどう考えても可能性がゼロだ、と思う夢っていうのが厳然と存在することに再度気づかされる瞬間がある。それは、自分の肉体能力を超えた夢。今からいくら頑張っても、100メートルを9秒台で走るのは無理。いくらやっても、スケートで4回転ジャンプは飛べない。自分の能力を超えたところにある世界には、どう背伸びしても決して届かない。そりゃ私はオリンピックに挑戦するわけじゃないけれど、でも私の場合にも、肉体の持っている限界、みたいなものを痛感する瞬間がある。私の場合、それは、1音の壁、だったりするんです。

立花敏弘先生の声楽のレッスンを続けていて、ここしばらく大きなオペラ舞台が予定されていないので、基礎の歌唱技術の訓練や、自分のレパートリーにしたい楽曲を練習したり、というのが最近の内容。でも、自分が歌いたい曲、かっこいいなぁ、と思う曲を選んで持っていくと、どれも私には音域が高いんですよね。バリトン、と名のつく歌い手にとってあこがれのヴェルディバリトンの曲なんか、音域が高くて最後までもたない。私が舞台活動にのめり込むきっかけになったオペレッタの色んな曲も、声域が随分高くて、ハイバリトンテノール向けの曲が多い。私はありがたいことに人より若干声域が広いので、そういう歌でもなんとか歌えないことはないんだけど、それでも「得意な音域」「勝負できる音域」にしっくりはまらない。高い音域が勝負どころになっているハイバリトンの名曲は、歌うことはできたとしても、お客様に何かを伝えるところまで到達できない。「なんとか歌い切りました」というレベルにしか届かない。

もちろんそれは、私自身の努力と技術の欠如でもあって、どうしても高音域をきれいに響かせる技術が身につかない、ということもあります。でも、努力して技術を鍛えて、高音域を「響く声で出す」ことはできるようになっても、「自分の持っている声が一番美しく響く音域」は生まれついてのもの、あるいはその人の骨格や筋肉などの肉体条件によって決まってしまうものなんじゃないかな、と思うんです。先日、立花先生が、「Singさんの得意な音域は、僕の音域より1音くらい低いんだよね」とおっしゃったことがあって、その1音が大きな壁なんだなぁ、と嘆息。そうなると余計に、自分にとって手が届かないハイバリトンの名曲が、ますますいい曲に聞こえてきて、なんだか悔しいったらないんだな。隣の芝生は青く見える、というのとはちょっと違うんだろうけど。

まぁ、ないものねだりだな、とは思うんですけどね。自分の声部では歌えない曲に惹かれる、というのは他の歌い手さんにも共通することみたいで、レッジェロなソプラノ歌いの人がいきなりデリラのアリア歌っててびっくりしたり、素晴らしいテノール歌手が「ばらの騎士」のオックス男爵にあこがれる、なんておっしゃってるのを聞いたことがある。加齢と共に、高音域を歌っていた人が中音域に勝負どころが変わってきて、レパートリーが徐々に変わる、なんてのもよくある話。とはいえ、ドミンゴリゴレットやらシモンボッカネグラを歌うのはバリトン歌手にとっては大変な迷惑だからやめてほしいんだけど。

そういう意味では、「この曲はオレの声に合ってる」と思える曲、いわゆる「レパートリー」との出会いっていうのを大事にしないといけないな、と思います。そういう曲との出会いを積み重ねて、いつか自分の単独リサイタルをやりたい、というのが、今の私のBucket Listの上位にある見果てぬ夢だったりする。いつ実現できるかは全然分からないけどね。