「ベニスの一夜」終了いたしました〜トリッチ・トラッチ・ポルカのこと〜

ガレリア座の「ベニスの一夜」公演が終了しました。日曜日は一般向け、月曜日は高校生の芸術鑑賞教室、という二日間公演で、色んな意味で、今までにない経験をさせてもらった、得難い公演の一つになりました。

もともと、米国滞在の関係もあって、参加できないと思っていた公演。予想外に早い帰国のおかげで参加できることになりましたが、本舞台から長く離れていたこともあって、自分自身の鈍った舞台勘に対する不安いっぱいでのスタートでした。実際、練習では、なかなか集中力を維持することができず、何度か出トチリをやらかしてしまったり、役にしっかり入り込むことができずに漫然と時を過ごすこともあった気がしています。今回は脇役だったので、なんとかそれでも本番に間に合わせることができましたけど、今でもあんまり不安が払拭できているわけではありません。

打ち上げの会場で、合唱で参加している私よりかなり(若干?)年上のソプラノの方とお話をしていました。その方は本当に素晴らしいソプラノ歌いで、特に高音域の響きの透明度と正確な音程が素晴らしく、ガレリア座のソプラノの柱になっている方です。その方が、「本当にね、年を取ってくると、『こんなはずじゃない』の連続よ」と話されていました。こんなに声域が狭いはずがないのに。こんなに体力が持たないはずがないのに。私も47歳になって、色んな意味で、自分の加齢による衰えというのを感じる時期になりました。特に集中力とノドが本当にもたなくなってきている感じがあります。

そうなるとあとは、日々の鍛練だけでは足らず、自分の技術や、経験に裏付けられた引き出しの数で勝負していくしかない。でも、それだけではどうしても乗り切れない壁があって、それを乗り切るには、周囲からの強力なサポートがないとダメ。今回、それを本当に実感したのが、3幕の挿入歌としてもらった「トリッチ・トラッチ・ポルカ」でした。本番舞台まで、かなり紆余曲折のあったこの曲、おかげ様で今回の公演で私が得ることができた、最大の財産の一つになりました。ちょっと手前味噌っぽい記述も出てくるかもしれませんが、少しご勘弁いただいて、そのあたりの紆余曲折を振り返ってみたいと思います。

日本では運動会でよくかかるなじみ深いこの曲、もともと器楽曲として作曲された曲なのですが、時々フォルクス・オーパなどで、場面に合わせたオリジナルの歌詞をつけて演奏されます。今回の「ベニスの一夜」で、演出のY氏は、浮気を楽しんでいる若い妻の行方を捜し、右往左往している元老院議員の歌、という設定で、私のソロ曲として、この曲をあてがってきました。

訳詞家のSさんの奮闘もあり、曲の雰囲気にあった楽しい歌詞が仕上がってきた後、Y氏がさらに、「休符の間にセリフを挿入してほしい」と言ってくる。音域も高いし、なによりテンポがすごく早い曲だから、息をつく暇もなく歌い、セリフを吐かないといけない。しかも本番舞台では、「客席で歌ってください」と言われる。これは、ガレリア座の舞台で通常仕込まれる、舞台上のマイクに頼ることができない、ということです。オケとのガチ勝負になる。どんどん上がってくるハードルに、正直、歌いきる自信は全くなし。実際、練習の最初の頃は、必ず曲の最後には声が全く出なくなってしまい、どうしたら歌いきれるのかと、悩み、試行錯誤を続ける日々でした。響きの場所を上に持って来たり下に持って来たり、楽音として出す部分と、セリフっぽく出す部分と、色々と組み合わせを変えてみたり・・・それで練習会場で、なんとかある程度通して聞ける状態に仕上げて、本番会場に持っていってみた。

ガレリア座の公演は、本番前日に、照明の確認含めた本格的な通し練習があります。経験豊富なプロと違い、自分の声の響きがホールにどう通るか予測できない我々アマチュアは、本番前日の通し練習でもかなり全力で歌います。実質、今回は3日間公演のような形になる。体力と気力の勝負、という感じ。

この前日通し練の前の抜き稽古で、演出指示通り、客席で歌ってみる。客席前方で聞いていた団員さんが、「結構ちゃんとオケにも負けずに聞こえてますよ」と言ってくれる。よし、と思っていたら、客席後方で聞いていたうちの女房が、「客席後方では全く聞こえてこないよ」と言ってくる。もともとオケのために書かれた曲だから、オケがぶっ放してきたらどうしてもかき消されてしまうのです。

会場全体を鳴らす声を持っていればいいけれど、私の声楽的な実力ではとてもそこまでの響きはない。どうしたらいいんだろう、と頭を抱えたら、Y氏から、演出変更の指示が出ました。1階客席で歌って演技をしても、会場のルネこだいらの構造上、2階客席から全く見えない、ということが判明。「客席で歌うのはあきらめて、舞台上、舞台前面で歌ってください」とのこと。若干敗北感を感じながらも、これで舞台上に仕込んだマイクを使うことができる、と頭を切り替える。そうなると、声楽的な発声だけじゃなく、色んな色合や発声方法での声が使えるかもしれない。あとは、極端に限定されてしまった演技空間にどう対応するか。

舞台後方には合唱団が控えているので、自分が使える演技空間は、舞台最前面の細い空間だけ。移動は横移動だけになります。今までであれば客席全面(二次元)を演技空間として使えたものが、いきなり直線(一次元)での演技に限定されてしまう。こんなに楽しい曲なのに、ただ横に移動しながら歌うだけではお客様も飽きてしまうし、声の色だけでそこまでこの曲を作りこむのは難しい。となれば、あとは縦に変化をつけるしかないだろう、と、立って歌う、立て膝で歌う、四つん這い、腹這い、と、姿勢を変えて歌ってみることにしました。それだと発声的にはかなりきついのだけど、今度は舞台前に仕込んであるマイクを使える。マイクの場所をちゃんと確認して、その前で座り込んだり腹這いになったりすれば、音響担当のK山さんがきっとなんとかしてくれる。あとは、どんなに演技が変わろうが状況が変わろうが、即座に対応してくれるガレリアオケの人たちが、絶対支えてくれる。

本番はそれで乗り切って、お客様にも随分喜んでもらえました。でも、あの曲が受けたのは、自分の発声の技術のおかげではなくて、今までの経験で増やしてきた声の色合いの引き出しを使えたことと、私の即興的な動きに合わせて完璧にマイクの集音レベルを調整してくれたK山さんの技術と、どんな状況になっても曲の勢いを失わなかったガレリアオケのおかげだと思っています。K山さんの手助けもなく、オケとのアイコンタクトもない客席で歌っていたら、どうなっただろう、と思うと結構ぞっとします。自分にはまだ、会場全体を豊かに包み込めるような声量はない。でも、逆に言えば、本番会場で状況が急激に変わった時でも、即座に対応できるだけの経験値と、スタッフとオケの仲間たちに対する信頼がある。そういう積み重ねや、仲間の協力があって、あの曲がお客様に喜んでいただけるものに仕上がったのだと思います。

今回の公演では、客出しの時、見知らぬお客様から、「よかったですよ」の声を沢山いただいて、その一つ一つが本当に嬉しかった。でも、何より嬉しかったのは、打ち上げの後、会場の外で、訳詞家のSさんが私に歩み寄ってきて、笑顔で差し出してくれた手でした。「トリッチ・トラッチ・ポルカ」を作り上げたのは、決して私一人の力じゃない。シュトラウスの音楽があり、訳詞家のSさんが生み出した日本語があり、それをさらに磨き上げた演出家のY氏がいて、音楽の魅力を最大限に引き出したガレリアオケの力があって、そして今日の拍手がある。その作品を無から生み出した人が、ありがとう、と差し伸べてくれた手は、表現者にとって最高のプレゼントでした。Sさん、本当に素敵な歌詞をありがとう。「トリッチ・トラッチ・ポルカ」は、私の大事な大事なレパートリーの一つになりました。これからも、大切に歌って行きたいと思います。久しぶりの本舞台、心から楽しめたことを、あの場に集まってくれたみなさんに感謝しつつ・・・舞台っていいなぁ。本当にいいなぁ。