人生の経験値が上がること

年齢を重ねていくってのはプラスとマイナスがある、とよく言われますが、最近とみに目に来てます。電車の中で携帯の画面が見えない、目が霞む、疲れる、などなど。年とったなぁ、とさびしく実感する。もともと近眼なのが緩和される、なんてことは全然なくて、遠くも見えなきゃ近くも見えない。情けねー。

聴力も衰えてきているなぁ、と思うことがあって、ふと思ったのだけど、老年による聴力の衰えっていうのは、物理的に聞こえる波長が狭くなってくる、というだけじゃなく、周囲に鳴っている色んな音の中から、自分が聞き取るべき音を選択して、それを言葉として理解する、という、選択と理解の能力が衰えていく要因が大きんじゃないかな、なんて思う。人の話を何度も聞き返すお年寄りには、その人の声が声として聴き分けられないのかもしれないし、お年寄りに向かって大声で耳元で言っても理解してもらえない、というのは、耳はその音をちゃんと脳に伝えているのに、脳の方でそれを「言葉」=「情報」として解析する能力が衰えてるのかも。そんな話を女房にしたら、「君が人の話をちゃんと聞きとってないのは昔からだから、年のせいじゃなく、単に君の集中力がないだけではないのか」と言われた。反論できねー。

一方で、年を取ることで、最近色んなことが見えてきたとは思う。見える、という意味でいえば、今までも「見えて」いたのだけど、自分の体や頭がしっかりそれを納得し、理解できていなかったこと。そういうことが、自分のものとして納得できるようになってきた。一つには、自分の経験値が上がってきたせいだろう、と思う。色んなことが、他人事じゃなくて、自分の色んな経験と重なって見えてくる。その時の自分の感情の動きを思い出す。身につまされたり、激しく共感する。それが、若かったころよりも深い、納得や理解につながる。ただの雑音として聞き流すのじゃなくて、言葉として理解するところまで到達できる。

ちょっと恥ずかしい話になりますが、今回の米国赴任にあたっての生活環境の変化で、精神的に相当不安定になった時期がありました。パニック症候群みたいな感じで、心拍数が急に増える。それが気になって眠れなくなる。不安な想像に頭が一杯になって、色んなことが手につかなくなる。そういう心理状況に共通しているみたいなんだけど、同じ場所でじっとしてられなくなるんだね。何かをしていても、意味もなく立ち上がって、用もなく家の中をうろうろする。「落ち着け」とまた席に戻るのだけど、何となくじっとしていられなくなってまた立ち上がって、を繰り返したり。この状況が続くとうつ病になるかも、と、ある時愕然として、それがまた自分の中の不安を増長したりしました。思い返すとバカバカしいなぁ、と思うんだけど、当時はそれどころじゃなかった。

うつ病、というのは、数年前までの自分にとっては他人事だったんですが、そういう不安な時期を一度経験してしまうと、あの状態がもっと亢進していくってのはしんどいだろうなぁ、と思う。さらに言うと、人間って結構簡単にうつ状態になっちゃうんだ、ということも、自分の経験として納得がいくようになりました。精神の風邪、とはよく言ったもので、決して特別な状態じゃないんだな、と。
そういう、自分の経験から納得感が深まる、というのも年を取ることの価値だったりするけど、経験の中での色んな「気づき」を重ねていくことも、年を取ることの醍醐味だったりする。特に、私がやっている歌という趣味は、自転車に乗れる時みたいに、ある時突然、体の状態として「分かる」瞬間があって、その瞬間を重ねていくことで、同じ歌が全然違うものに見えてきたりする。そういうことって、その「分かる」瞬間、「見える」瞬間がこない限り、永遠に見えて来ないんですけど、一旦その瞬間を超えると、さあっと広がるものがあって、それが楽しい。

麗鳴やガレリア座で最近やっている曲とか、なかなか課題がクリアできなくてしんどいのだけど、それでもやっぱり楽しいです。なんでか、といえば、昔全然自分で気づいていなかった、体のポジションと音の関係とか、旋律のラインの感じ方、みたいなポイントが少しずつ見えてきた気がするから。それと同時に、自分がどれだけ音痴か、というのも見えてきたので焦りも募るんだけどね。気付くのが遅かった分、なかなか改善できないで苦労しているのだけど、気づかないよりはずっと楽しい。いわゆる、天才、と言われる人とかは、すごく若いころにこの「気付き」の段階を超えちゃってるんだろうね。美空ひばりとか、小学生の段階で歌唱技術が確立しちゃってたもんなぁ。

五輪出場の最年長記録を更新した、馬術の法華津選手が、「うまくなり続ける限りは続けたい」とおっしゃってましたけど、それって逆に言えば、自分がどれだけ下手か、何ができていないか、ということに気付かないと言えないセリフだよね。自分がうまい、と思っちゃった瞬間に終わってしまう。肉体的には衰えていくのは確かなことだから、超えるべきハードルの難易度は上がってくるけれど、「自分の下手さに気づいている」というのは最大の武器だから、それで戦えるだけ戦っていければ、と思っています。