「パパ宿題」

娘が4年生になって、学習塾に通い始め、実力試験の様子などを見ていると、どうも算数の点数が伸び悩んでいる。実力試験は、基礎的な計算問題から、少し応用力の必要な問題、かなり高度な文章題、という構成になっていて、どうしても高度な文章題が解けない様子。

中学受験の時に一生分の勉強をしたパパとしては、中学受験の算数の問題は得意中の得意です。というわけで、娘の「パパってすごい!」という言葉を聞きたさに、結構張り切って、「パパ宿題」というのを作り始めました。娘が塾からもらってきている文章題の問題集を見ながら、パパオリジナルの「ちょっと難しい文章題」を作る。A41枚くらいの紙に5問くらい、昔懐かしい植木算とか、つるかめ算とかの問題を並べます。毎週水曜日のノー残業デーに作成して、翌週のノー残業デーまでに解く、というのがサイクルなのだけど、時々2週間かかったり、まぁボチボチやっています。2ヶ月くらい続けているのだけど、算数の問題を子供に教える、というのは中々難しいなぁ、と思う。

娘は、まだ、算数が、公式や解き方を「覚える」科目だ、という意識が強いみたいで、「これはつるかめ算なのか、差集め算なのか、規則の発見なのか」というカテゴリー分けから入ってしまう。いったん、「これはxx算」というカテゴリーに当てはめると、今度はそのxx算の公式や、xx算の解き方の公式に当てはめようとする。少しでもそこからずれると、思考停止になってしまう。ベン図なんかも、「何を言ってるのかわけがわからない」と最初から思考停止に陥ってしまう。

何度も、「算数というのはね、国語の文章を、線分や数字や図にして分かりやすく考えていこうとする科目なんだよ」と教える。線分図を描くのも、文章題で書かれている日本語を、図に直して理解しようとすること。決まった線分図の描き方があって、それを当てはめる、ということではなくて、文章を線分図に描いてみたらどうなるだろう、と考えることを勉強する科目。「だから、国語ができれば、算数はできるはずなんだよ」と。

そういう論理的思考・抽象的思考っていうのは、会社で仕事している時なんかでもすごく役立つ思考方法なんだよね。私も、仕事が壁にぶちあたると、すぐホワイトボードや白い紙に、何が問題になっているのか、現状はどうなっているのか、といった絵を描くようにしています。文章や言葉を並べるのではなく、丸だの四角だの三角だのの図にして、線で結んだりすることで、見えてくるものがたくさんある。

算数というのは、そういう「抽象的思考」を学ぶ学問で、中学受験の問題なんかを見ていても、抽象的思考がどれだけできるか、というのを計る問題が多い。娘はまだまだそういう視座の転換に至っていなくて、結構苦労しています。時々、「そうか!」という発見があるんだけど、たいていの場合は、「こうかな?」とパパの顔色を伺っては、「違うか」なんていいながら、なんとか答えにたどり着いている。「そうか!」という発見がないと喜びもないので、今のところ、喜んでやる勉強、というよりは、頑張って苦しんでやる勉強、という段階を超えていません。どこかで、分かる喜びを発見できるといいんだけどねぇ。

いずれにせよ、いつも残業が厳しくて娘との会話の少ないパパとしては、「これはこうやって解くんだよ」なんて教えてあげると、「パパって本当に中学受験頑張ったんだねぇ、すごいねぇ」と言ってくれる娘のセリフが嬉しいわけです。傍らで女房が、「そこで脳みそ使い果たしちゃったんだよねぇ」と呟いているんですが。なはははは。