丈夫で長持ち

先日深夜、女房が、忌野清志郎の追悼番組を見ていたら、我が家の液晶テレビが、

「ぶっ」

と言って画面が消える。その後、コンセントを抜き差ししても、いくら電源を入れなおしても、復活しない。赤いランプがずっと点滅している。仕方がないので、修理屋さんに来てもらう。

女房の目の前で、TVが分解されて、「この基盤が機能してないみたいですね」と基盤を交換し、TVは復活。でもね、なんか疑問が沸く。女房も同感だったらしく、修理屋さんに、

「まだ買って5年なんですけど、もうこんな不具合が出るもんなんですか?」

と聞く。「5年くらいだと出てきますねぇ」との答。どうも納得がいかない。

先日、女房が学生時代からxx年使い続けてきた電子レンジが昇天した話をしましたが、なんか、色んな局面で、「モノ」の寿命が短くなっているような気がしてならない。新しいものほどいいもののはずなんだけど、新しいものほど長持ちしない。「いい商品」であることの意味の中に、「丈夫で長持ちする」という項目が失われているような気がする。

それって、住宅の場合でもいえて、100年以上もつ家を作らないとダメだ、みたいな話が出てきたりしてますよね。逆にいえば、大抵の建売住宅は100年ももたない。我が家も築10年以上になりますけど、やっぱり色んなところにガタが来ています。でも、少し前、社会人になってから、子供時代に住んでいた大阪の家の近所に行ってみたら、当時住んでいた家が全然姿を変えずにしっかり建っていてびっくりしたことがある。もう30年以上たつはずなのに。

そうやって考えると、昔に作られたモノほど、「丈夫で長持ちする」ことが極めて重要な価値だった気がするんだな。それがいつのまにか、「多機能であること」「見栄えがかっこいいこと」「最新機能がついていること」といった別の価値が上位にくるようになってしまった。そういった価値というのは時代と共に移り変わりやすい価値だから、結果として、「長く使われているモノ」=かっこ悪い、価値が低いものになってしまう。その最たるものが携帯電話で、イマドキ携帯電話を5年以上使っている、なんて言ったら笑われる、なんてことになる。誰も、「それはモノを大事に使っているねぇ」なんて誉めてくれない。

「物持ちがいい」という言葉があって、一つのものをずっと大事に使い続ける、というプラスの評価として使われる言葉だと思うのだけど、最近はこれがマイナスに使われているような気がするんだよね。「モノが捨てられない」=「片付けが苦手」とかさ。

ちょっと違う話かもしれないけど、ある時、健康関連の記事を見ていたら、「外食の場合、大盛りのものが多いので、極力全部食べずに残すようにしましょう」と書いてあって驚愕したことがあります。私の子供の頃から、「食べ物を残す」ことはとてもお行儀が悪いことだったはずなのに、それを奨励している、あるいは奨励しないと健康すら保てない。

大規模消費社会、豊か過ぎる社会のひずみ、と簡単に言ってしまえばそれまでなんだけど、昔から何百年も守られてきた美徳や価値が、ほんの10数年の時間であっという間に踏みにじられてしまうことに、ものすごく抵抗感があるんです。残すくらいなら最初から注文しなきゃいいんだし、壊れるくらいなら余計な機能付けないで長持ちするものにしてほしいんだけど、ダメなんですかね?